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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

ニューヨーク旅行記について

学生の最後に突発的に行ったニューヨーク旅行について、このブログでは詳細な模様を描写する予定だった。それも学生のうちに。

3月22日に帰国したので、社会人になるまで1週間以上余裕があるはずだった。にもかかわらず僕は、外をぶらぶらしたり映画を観たりするなどして、紀行文を完成させることができなかった。

それから1ヶ月以上経ち、未だに紀行文は書けていない。これほど時間が空いてしまった以上、もはや記憶を頼りに詳細な模様を描写することは困難だ。

そこで、ニューヨーク旅行に関しては、簡潔かつ端的な状況描写および心理描写を試み、手軽に当時の興奮を鮮やかに蘇らすことを可能にするような文章を構築したい。

なぜこのような事態になったか。理由は2つある。

1。もう僕には、これ以上文章を書くリソースを割くことができるように思われないから。

要するに時間を取るのが難しいということだ。もちろん普段の日記を書くといったようなことはできる。会社のことをブログに書いたりすることもできるだろう。けれども旅行記をどっしり腰を構えて書く、しかも感情再現力を十分に発揮するような言葉を選びながら、というのは、いささか疲れる。社会人生活が始まったばかりで、なかなかそういうことをする気力も出てこない。

2。書くのであればほかのことを書きたい(と思う)から。

もうすでに「社会人1日目」というエントリを書いた。旅行記を連載形式で展開していったとしても、その合間合間に何かべつのレベルの話をしたいと思うこともある。そのような時に、「いや、しかしいまは旅行記を完成させなければ」と自らに枷を嵌めることで、表現の機会を奪ってしまうのはよくないだろう。

であれば、ニューヨーク旅行についてはさっさと書いて、思い出にしたほうがいい。そのように判断した。いったいこの程度の言い訳に何文字費やしているのだと思うかもしれない。けれども僕には、僕に対しては、このぐらいの量の言葉を重ねないと、納得出来ないのだ。自分が。