研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

創作の燃料

 ついさっき、TLにこれがRTされてました。

 

 

 この人は「基本無料+課金コンテンツ」*1が流行る昨今のゲーム業界のことを説明する文脈でこれをつぶやいていました。僕はこのツイートから、ゲームじゃなくて創作一般のことについてちょっと思うことがありました。

 

 僕は高校に入学してから趣味で短編小説を書いています*2。なぜかというと、僕の中にある妄想を形にしたいという願望があったからです。じゃあなぜ妄想を形にしたいのか? それは、誰かに見てもらいたいという承認欲求*3からだと考えます。

 それに気づいたのは高校1年の夏です。部活の機関紙に文庫本2ページぐらいの小説を掲載してもらって校内に上梓*4したところ、「おもしろい」と言ってくれた人が何人かいました。それはすごくうれしくて、今後も何か話をつくっていきたいと思いました。

 そこで僕は、ああ、人気のために創作をするなんて、僕はひねくれた人間だなあと思いました。

 でも、もうひとつ気付いたことがありました。それは、執筆することの楽しさや、小説を完成させた時の達成感です。これは、小説を書いて見ないと絶対に体験できないものでした。上記の欲求って、例えばおしゃべりのときのネタがウケたとかでも代替可能なんですよね。でもこれは他に替えがない。

 

 なんだか何を言いたいのか訳分かんなくなってきましたが、要するに最初の動機はなんでもいいのだと思います。ハッキリ言って創作の理由なんてどうでもよくないですか。大事なのは過程と成果、その二つじゃないですか。その二つが充実するかどうかなんて、やってみないと分からないと思います。

 

 これから何かを創ろうという人に「ツマラナイカラヤメロ」というのは、あんまりおもしろくないかな。

 

 

*1:そういえばスクフェスにはもう1週間ぐらいログインしていない……ラブライブの曲はYoutubeでよく聴いたりしているのに。

*2:短編以下のショートショートと言うべきものが大多数です。ちなみに僕の小説の一部はネットに公開しているので、ぜひぜひ読んでみてください。→http://ncode.syosetu.com/n0173bo/ おもしろいので読んで、どうぞ。

*3:承認欲求だなんてさらっと書いちゃいましたけど、実は承認欲求ってなんなのかよく分かっていません。例えば自分の小説を読んだ人が「おもしろい」って感想をくれたら、それは承認になるのか。嬉しいことは嬉しいんですが、承認とは少し違う感じがするんです。心理学に詳しい人、教えてください。

*4:ぺらぺらのコピー本を50冊ぐらい作って知り合いに渡しただけです