研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

甘栗闘争

 昨日のエントリで、「自分を無理に肯定するポーズをとる」という言葉を用いましたが、それについてちょっと思い出したエピソードがありました。

 高校2年のとき、学校の遠足(笑)で横浜に行ったんです。
 僕の班はーーというか、殆どの班がーー中華街をぶらついていたんですね。
 で、言ったことある人は分かると思うんですけども、あそこ、中国人が甘栗を執拗に売りつけてくるんですよね。
 歌舞伎町の客引きばりのアグレッシブな動きで、
「オニーサン、甘栗どうですか、一口食べてみて」
 とか言ってくるじゃないですか。
 はっきり言って甘栗なんてそんなにおいしいもんじゃないし、あと殻を剥くのがめっちゃめんどいんで僕は嫌いです。
 っていうか、甘栗好きな人って見たこと無いですね?
 まあとにかく班で中華街を歩いてたら、案の定呼び止められて。「これは」と危機を察知した友人の一人が、
「あーあっちあっち。あっち行こ」
 と声を大きくして路地に入り込みました。彼に続いて、僕たちは逃げるように通りを過ぎ去りました。
 ところが振り返ると、メンバーの一人(佐藤とします)がキャッチされているではありませんか。

 1分後、佐藤は僕らと合流しました。一袋の甘栗を持って。

 負けてしまったのか……

 なんと声をかけるのがベストなのか、灰色の脳細胞をぐにゅぐにゅして、*1

「甘栗食べたかったんだよな、佐藤」

 そういうと、ほかの友達の一人も言いました。
「そうだよね、佐藤甘栗食べたかったんだもんね!」


 このエピソードは「自分を無理に肯定するポーズ」を他人に強いた一例なのですが、これが甘栗を購入した彼にとって望ましかったのか、それとも劣情を煽ってしまったのか、分かりません。
 いまさら訊くわけにもいきませんしね。

*1:「灰色の脳細胞」って、さも特別なように言うけど、実は脳細胞は誰の脳細胞でも灰色だ。