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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

日本人にとっての法律

学の授業でレポートを書かされたんですけど、テーマをについて調べてみると(といっても教科書読んでただけですが)なかなかに興味深かったです。

 

レポート書いたのは1年ぶり2回目でどんだけ怠惰な大学生なんだよって自分でも思うんですがそれは履修した授業の所為でryまあともかく以下に載せておきます。

 

ちなみに2500字ぐらいです。論理構成がわりと粗雑だなと感じますね() 

 



1.はじめに
 日本において法は近代以後明治時代に急速に制度化されていった。とりわけフランス法・ドイツ法は今日まで継承されている法律の基盤となっている。つまり日本の法の成り立ちを辿っていくと必然的にフランス・ドイツの考察に至ることになる。それでは西洋的文化は法にどのような影響を与えたのだろうか? そして法は人間社会にどのような規範として現れたのだろうか? 本レポートでは2において狩猟社会と農耕社会、西洋社会と東洋社会を比較し、文化的な側面から法との関連性を探る。続く3ではドイツ語の2つの語を参照しながら、法に基づいて形成された規範・意識を日本と比較する。最後に4では、まず法が大陸を横断して日本に輸入された際の誤差を明らかにする。その上で2と3の内容を反復しつつ上述した問いに対する答えを提出する。


2.牧畜と農耕、西洋と東洋が産んだ法
 人類は当初採集・狩猟によって生活を営むところから出発したが、地域の環境によって牧畜を主とする集団と農耕を主とする集団に分かれていった。牧畜を主とする集団は自己の財産(=家畜)と他者の財産を厳しく峻別し、個別の所有権を重要視する方向に進んでいった。そこでは個々の所有者は過酷な自然と常に対決することを要請される。彼らの集合のなかでは闘争的な世界が構築され、宗教的表象において「天なる父」という発想を培うことになる。また農耕を主とする集団は自然の恩恵たる収穫物を授かるという調和的な価値観が支配的となっていった。そこでは構成員同士の所有の感覚は限りなく薄められ、宗教的表象において「母なる大地」という発想が培われる。
 この牧畜社会が西洋のことであり、農耕社会が東洋のことである。中央アジアの高原や西ヨーロッパなどに見られるように、西洋は面積が広大であるのに対し人口が少ない。そのような環境においては権力分布が自動的に拡散的になる。したがって西洋では個人・自衛の観念が強く根ざしている。対して豊かな針葉樹林に恵まれた中国中南部などに代表される東洋においては、個人対個人の闘争が発展することはなかった。個人は共同体に埋没し、それらを統一するための専制的な中央集権化が遂行された。この2つの権力の比較は、先の牧畜社会と農耕社会の宗教的表象との比較と符号する。
 以上の宗教的表象と権力構造は法の役割を決定づけている。一方で西洋では個人間の利害調整を法が担うことになる。その領域では個人と法を媒介する裁判制度が発達し、法―裁判―個人という線形性が築かれた。それゆえ西洋では法は自らを守る武器として認識されている。他方東洋では上位に位置する組織が定めた規範に従属する姿勢が美徳とされた。古代東アジア諸国で「律(刑罰体系)」「令(行政規範)」が法の中核に置かれたのは、そのような背景に基づいている。

 

3.法が産んだ規範・意識
 法律と法則の違いとは何だろうか。法則とは人間の営みからは完全に独立した非人格的規範のことであり、そこに一切の変更は加えられない。対して法律は人間社会に生じ、人間の行動に修正を迫る。さらに法律は常に人間が意志を持って管理する必要がある。なぜならば法律は権力に支えられるところが大きく、放置すれば権力者の恣意性が色濃く反映される危険性があるためだ。つまり法は一方で権力に大きく依拠しながら、他方で権力に対する斥力を外部的に有している。その均衡を保つための価値総称が正義と呼ばれるものであり、それゆえ法の理念は正義の実現と呼ばれる。このことはRechtが法と正当性の両者を意味するところから示される。
 Rechtとはドイツ語で法を意味する語だが、類語の法律はGesetzと呼ばれる。一般に日本では法と法律は同一視されており、分けて認識されることはない(注1)。しかしドイツではRechtとGezetsはその多義性において明確な違いがある。Rechtは「法」という意味だけでなく「権利」「正しいこと、正当性」という意味を持ち合わせている(注2)。それはRechtsanspruch(請求権)、Rechtfertigen(正当化、弁明、釈明)といった派生語に象徴されている。他方Gesetsは「法律」以外に「法則、原理、原則」といった意味もある(これは英語のLawにも同様に見られる)。つまりRechtとGesetzは、両者とも「法」「法律」という点で共通しているが、前者は人間が絶えず希求しなければならないものを含み、後者は何もしなくても維持し続けるものをも含んでいるという点で対立している。その正義と法則の対立の構図は先に見たとおりである。つまりドイツでは法(法律)はRechtとGesetzという、表層では全く同一で、しかし本質的には反対の意味を持つ語が法制度を支えてきた。それは東洋、とりわけ日本では見られない奇妙な二重構造を成している。

 

4.考察
 本来法・法律という語は二重性を帯びていた。それは能動的に獲得する正義のような動的な意味と、受動的に継承される自然法則のような静的な意味である。しかし動的な意味は日本語の翻訳を試みる際に捨象され、静的な観念のみが抽象された。そして現在に至るまで私たちはその「誤差」にあまりにも関心を持たずにいる。それは東洋的な農耕社会とそれに追随した専制的権力構造にとっては親和性が高かったからかもしれない。
 以上の議論を踏まえると、はじめに挙げた問いに対する答えは次のようになる。
 西洋において牧畜社会は個人主義的な価値観を形成した。その価値観は個人間の衝突を調停する機能としての裁判制度を設計すると同時に、個人は法を自らの武器として用いるようになった。そして法という言葉はそのような個人に働きかける規範としての意味を確かに所有していたが、日本においてその意味は異なる文化・言語の位相によって消去されてしまっている。したがって法は上から与えられるものだという見方が多い。
 この日本人の法感覚の問題に対する回答は、私たちの今後の課題としたい。

 

5.参考
(注1)広辞苑第3版によれば厳密な定義の違いは存在する。「広義では(法律は)法と同じ。狭義では国会で制定された規範を指し、憲法・条例・命令などから区別される法の一形式。」
(注2)アクセス独和辞典第3版。

 

 

法律学講座双書 法学入門

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