研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

2014年12月03日池上彰「池上彰さんの真相に迫る!」Session袋とじ 一部書き起こし

たいへん素晴らしい内容だと思ったので一部抜粋して書き起こししました。初めての試みなので雑なところもあるかと思いますがご容赦ください(^_^;)なお、音源は

2014年12月03日池上彰「池上彰さんの真相に迫る!」Session袋とじ - 荻上チキ・Session-22

http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20141203fukuro.mp3

を元にしています。

 

荻上TBSラジオをキーステーションにお送りしているセッション22、ここからはセッション袋とじ。今夜のお客様はジャーナリストの池上彰さんです。よろしくお願いします」

 

池上「よろしくお願いします」

 

荻上「ここからもメインセッションの続きのようなものですけれど、今日は本当にリスナーの方からも、そして番組に登場していただいた方からもいろいろメールを頂いておりまして、もうこれねできるかぎり行きましょうか」

 

南部「まずは龍谷大学の岸政彦さんから『いつもお世話になります』ということで。『すでにお話に出たかもしれませんが、書店に韓国人や中国人に対する憎悪を撒き散らすような本が並んでいるような状況を、おふたりともジャーナリストとしてどのようにお考えでしょうか。売れるから並べる、並べるから売れる、の悪循環に陥っているような気がします。ちょうど今日、京都のある書店がツイッターでの呼びかけに応え、店頭でのヘイト本の陳列を控えめにするということが話題になりました。ただ書店にも売れるから並べているだけ、こちらも商売、という言い分があるでしょう。雑誌や一部の新聞の記事にも排外主義的な表現が数多く見られますが、これも部数が出るからしょうがないという言い分があるかと思います。このような状況についてどのようにお考えですか』」

 

荻上「岸政彦さんは社会学者でして『同化と他者化』『街の人生』とか……ご存じですか。こうした本を最近お書きになっていて、次々と仕事をされている方なんですけどね。この番組にも出ていただきました。池上さん今のメールはいかがですか?」

 

池上「最近私が出した本『そうだったのか! 朝鮮半島』というのは、まさに今のそのような風潮に疑問を呈するというか、ちょっと待ってよというので書いた本なんですね。ただ排外主義的なものだったり、単に反韓だったり、あるいは民族を貶めるような、そういう本が多い中で、やっぱりこれは冷静に見ようよと。事実関係をちゃんと見て、歴史を見ることによって、なぜ北朝鮮あるいは韓国が今のような国になったのかということを冷静に分析したほうがいいよね? という意味で書いたわけですね。つまり、今のそういう風潮に対して私はこう思います、という本を書いたという意味において、今のこのような傾向に対する私なりの問題意識の答えだと考えていただければいいなと思うんですね。書店は確かに商売ですから、売れるものは売れる。これはひとつの考え方ですよね。その一方で書店て、文化の担い手でもあるはずなんですね。その国の文化を末端で支えるという大事な仕事があるんだろうと思うんですね。その時に日本の国の文化を支える、あるいは日本という国のレベルが下がらないようにするためにはどうしたらいいのかな? て考えるときに、本屋さんに並べる本について、自らの並べる権利は書店がもっているわけですから。そういうところをもう少し考えてほしいなという思いはありますね」

 

荻上「差別の本の問題ですと、出版社の製造責任の問題はどうなんだという議論が最近出てきたりもしれいるし。そういうことを考えると、書店の流通責任というのも、これは商売だというのもある一方で、何を売って何を達成したいかというのは店側によってもまた違ったりするわけですよね。先日私この番組で夏休みを頂いて、1週間休みで、普段は僕アマゾンで注文して買ってしまうタイプの人間なんですけど、久しぶりに書店めぐりをやってみたら、岸さんが指摘されていたような本棚のラインナップを見て、ちょっと焦りました。一冊一冊の本が存在していることは分かるんですよ。だけど面陳されてコーナーが作られていて、そこでの書かれている主張は僕は相容れないなって思うものとか、これで傷つく人もいるだろうなっていうのが多くあったと。その時に僕も仕事しなきゃと思ったんですね。例えば本屋のラインナップの問題だと思うならば、書き手としてできることはこれよりも売れる本を書くとか、あるいは編集という形でいろんな本を世の中に出していって、書店の人に自然と並べてもらえるような状況を作るというのは、書き手の市場への関与の仕方としては一番健全だろうと。でも一方で書店に対しては買い手として応援するしかない。本棚を見る、書店をめぐることが仕事のモチベーションになったっていうような感じはありますね」

 

池上「私もいろんな書店を回るんですけど、本の並べ方によって、そこの書店の店長あるいは店員さんのレベルが分かりますね。なるほどこういうラインナップでやったかー渋いなー見事だなあっていう書店もあります。そういうところはファンになって、どうせならそこで買おうというのもありますし、逆になんじゃこりゃあというところもあるとがっかりして、そこではなるべく本を買わないようにしようということもありますね」

 

荻上東京大学の大学院に行って、駒場や本郷の学校の中の生協の本屋があるんですね。そこに行った時に、なんてすばらしい本のラインナップだと驚いて、これは学生鍛えられるなっていうふうに感動した覚えはありますね、哲学とか思想とか社会科学の部類に関しては。学生が本棚を育てているし、本棚が学生を育てている。ひいては、街が書店を育てて書店が街を育てているというのはすごく思いました」

(6分17秒あたりまで)

 


(20分36秒あたりから)
荻上「ちょっと僕から訊きたいんですけれど、池上さんのスタンスというのはけっこうオーソドックスな、シンプルなジャーナリズム、つまりちゃんと調べようとか民主主義はこうだとか、おさえておくべきところはちゃんとおさえようということをメディアで発信していて、わりと自分のカラーは抑制されているように見られていると思うんですね。ただ一方でシンプルな原則論を言い続けるということ自体が批評性を持っていて、今の社会でそれがあまりに足りなさすぎるという憤りみたいなものを感じてるんですけど、そういったあたり……」

 

池上「それは全くその通りですよね。ジャーナリストの役割っていろいろ考えるわけですけど、コメンテーターだったり評論家だったりいろんな立場の人がいますよね。自分の意見をどんどん世の中に発信していくというタイプの人が非常に多いわけですよね。だったら一人ぐらいあえて自分の意見は抑えておいて、みなさんに考えてもらう材料を提供する、そういう役割の人間が一人ぐらいいてもいいじゃないか。私はそれをやろうと考えているわけで。ジャーナルっていうのはそもそも日記って意味なんですね。日々の出来事を記録しそれを人々に伝えていくのがジャーナリストの役割だ、ということは私としては、今こういうことが起きています、さあこっから先あなた方はこの材料を元にどう考えますか? それぞれみなさん一人ひとり考えてくださいね、というそれが私の役割かな、と思っているんですね。だからよく私に『これについてどう思いますか』とか『どうすればいいんでしょうか』って訊いてくる方がいらっしゃいますけど」

 

荻上「意見を聞かせてくれという」

 

池上「そうそう。じゃあ私が何か意見を言ったらそのとおりにするんですか、それって自分の思考を停止していることになるんじゃないですか? あなたはあなたで考えてほしいから、私はあえてそれについては言いません。というスタンスを取っているってことですね。でもその一方で生身の人間ですから、何かを言おうとするときにどうしても自分のニュアンスが出ちゃいますよね。その時にそれを自覚して、どう抑えるかっていうところでいつも苦労しているってことがあります。あえて言わないようにするにはどうしたらいいか。それは、私の話を聞いた国民人一人が考えることで、自分の頭で考えて行動することによって、民主主義っていうのが守られているんだ、ということですね。だれかカリスマ指導者が出てきて、こうだーと言ってみんながそうだーとそっちについていくのは、決して健全な民主主義ではない。つらいけども一人ひとりで考えようよというのが私のメッセージですね」

 

荻上「例えばね、いろんなタイプの物書きっているじゃないですか。中にはこうだーっていう答えを自分こそ出すんだ、あとは馬鹿だっていうような、教祖タイプの書き手っていうのが結構いたりして、あんまり僕はそのノリは好きじゃないんですけど、煽るのも苦手だし、煽っている人に対してブレーキをかけるのが自分の役割かなって思ってたりするんですけど。池上さんは目標の人とか昔からいたりしたんですか?」

池上「いませんね。記者になった時に、とにかく事実を確認しろと。徹底的に、間違いを出すなと。でも人間だから間違いを出すことはあるんだけど、つねに事実関係をきちっと調べて、それを正確に伝えていけ。よく新人の時に言われたのはね、お前の原稿は分からんと。情報が中間搾取されていると。つまりお前は取材をしていろんなことが分かってるくせに、きちんと原稿に反映することができていない。だから原稿だけ見ると、何のことか分からない。お前がちゃんと取材したことをきちんと原稿に書け! ってずいぶんデスクに怒られましたね。いろんなことを取材したことをなるべく全部きちんと伝えていくためには、どのように原稿を書けばいいのかっていうことを、ひたすら考えてましたね」

 

荻上「誰かになりたいとか、その人を模倣すればいいという話ではなくて、先輩とか、それについて試行錯誤できる仕事をしながらジャーナリズムとは何かっていうのを、大上段から振りかざすのではなくて日常の中で考えていく。そうした環境にいられたからこそ、今の池上彰がいるということになるわけですよね」

 

池上「ほんとにね、新人研修の時に言われたんですけれど、記者はなぜ非常線を越えることができるのか? って言われたんですね。つまり現場に行きますでしょ。で警察が非常線を張りますよね。こっから先野次馬が入らないようにってやるんですけど、取材の記者やカメラマンはもうちょっと先まで入れることがあるんですね。もちろん本当の現場には入れませんけど、とりあえずここまでは入って取材をしてもいいよ。なんでそんなことができるのか。それはお前たちが国民の知る権利に奉仕するためだと。みんながその中に入る訳にはいかないから、一部の一握りの者が中に入って、それを取材し、それを国民に、つまり視聴者にきちんと伝えていく。その責任があるから、それが認められているんだと。だからきちんと取材し、それをちゃんと伝えろと。こう言われましたね。国民の知る権利に対し奉仕をするのがお前たちの仕事だと」

 

荻上「この番組ではね、神保哲生さんなんかもね、あるいは青木理さんとか、いろんなジャーナリストの方にお越しいただきますけど、ジャーナリストのジャーナリズムとはなにか、報道の基本的な役割ということを、要所要所で確認しながら、リスナーとみんなと一緒に、今の社会はこうあるべきだっていう話を、答えを出すんじゃなくて、いっそこうやってしっかりと共有していくことがまだまだ足りないなと。でも池上さんの姿勢からそういったものが見えてくるんだなと、あらためて感じましたね」