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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

投票権がない1995年早生まれ組

考え事

   1995年早生まれ組は今回けっこうレアな体験をしていて、周りの同級生はほとんど投票権を手にしているのに自分は権利がないんですよね。

   1994年生まれの人のなかには、二十歳になったところの突然の選挙ということで、熟慮の末の投票などいい経験になった人もいるでしょう。しかし僕はそれができなかったんですわ。19歳なので。あと1994年12月15~31日生まれの人も投票できなかったんですかね。わからないですけど。いずれにせよぼくの家にはあの封筒は届いてませんでした。


   で、ぼくの周りの友達なんですが、選挙(2014年衆院選)については全然話しません。といっても会って喋ったわけじゃなくてツイッターで誰も言及しないという話なんですけどね。

   彼らは単に意識が低くて政治にも無関心というわけではないと思うのですが、文脈切断型のメディアであるツイッターで「俺は断然自民党だね」などと急につぶやくのも確かに変に思われそうです。

 

   しかしもともとぼくの周り、あるいは若い世代は政治の話をしないような気がします。ぼくは最近思うのですが、若者は政治の話を友達とするのを避けているだけで実は政治に関心を持っているのではないでしょうか。

   というのはぼくの実体験から考えたことで、ある日バイト先の先輩から「ところで○○くんって韓国人嫌い?」という質問をされた時、これはぼくは「すみやかに話題を変えねばならない」と思ったんですね。なぜならそこで「特定の人種を嫌うなんてだめじゃないですか」などと言ったら確実に論争になってしまうからです。そしてそれは議論して落ち着く話ではないということも明らかでしょう。

 

   つまり政治的主張はしばしば対立を招きます。ぼくはこのような体験を偶然この間したのですが、若者たちは経験的にこのことを知っているからこそツイッターで政治についてつぶやかないし、普段話したりしないのではないでしょうか。

   もっと言うと、彼らは友情を壊さないために、「終わりなき日常を生きる」ために「あえて」政治から距離を取っているのではないでしょうか。友達と仲良くするためには政治的信条を晒さない方がいい。だったら最初から政治になんて関心を持たない方がいい。「政治に無関心な若者」と一括りにするのは簡単ですが、そのような微妙な心理もあるのではないかと思いました。

 

   政治的信条や思想の対立を超えた「友情」によるつながりを重視する若者。これが新しいリベラルの姿なのでしょうか。そうだとしたらリベラルユートピアはすでに半ば実現されているのかもしれません。偶然性に支えられたアイロニストたちの連帯は、実は若者によって巧妙に隠蔽されていたのかもしれません。