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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

二〇歳にして自分の積み重ねのなさに焦る……?

 高校の時、ガンダムが好きな友達が2人いたんですが、ガンダムって初代から00までかなりの歴史がある長大なシリーズなんですよね。しかも今どきのアニメのように1シリーズ1クール2クールどころではなく、ひとつのタイトルで1年以上放送されていたりするわけです。

 そんなにたくさんのアニメを彼らは劇場版とかも含めて高校1年生の時点ですでに網羅していたんですよね。こんなの、小学校から中学校にかけてずっと見続けないと到達しえないじゃないですか。まさか暇な大学生みたいに1クールアニメを徹夜して見たりしてないでしょうから、土日にお父さんが借りてきたガンダムのビデオを一緒に見る、みたいなのを継続してきたわけですよ。

 

 そういうのが僕にはないなと思いました。

 

 僕って昔なにをしていたのかあんまり記憶になくて、小学生の時はもっぱら友達と公園で鬼ごっこしてみんなでチャリンコで階段を駆け下りてスマブラロックマンエグゼパワポケマリオカートしてっていう感じだったのですが、

 中学に入ってからは友達もできず、一体何をしていたのかといえば確か小説とかを読んでいたような気がするんですね。しかし読んでいたと言ってもあんまり読んでなくて、芥川龍之介の『羅生門』と夏目漱石の『坊っちゃん』くらいしか為になる本を摂取していなかったと思います。でも山田悠介ハルヒにハマったのは割りと楽しかったから良かったかな。

 あとは深夜ラジオの世界に足を踏み入れてからはどっぷりそれに浸かっていましたね。特に文化放送アニラジが良くて、土曜日(というか日曜日)は「白石涼子の聞かなきゃそんそん!」という番組を聴取するためだけに28時まで起きたりとかしていました。

 高校生になり、やったことといえばやはり読書はしていましたが多読というほどでもなく、1ヶ月に1冊程度のペースでしか読んでいなかったと思います。文芸部の先輩の影響で伊坂幸太郎という作家に出会い、数冊読み、現代のメジャーな文体を知ることが出来たのは大きかったですね。また、星新一に傾倒し、新潮文庫の本を買いまくりました。おそらくあと3冊ぐらいでコンプリートするのではないでしょうか。それと同時並行的に成田良悟にも関心を持ち、バッカーノとデュラララは当時の既刊を揃えました。

 読書の他には高校入学時に携帯を手に入れたこともあり、2ちゃんねるまとめサイト文化圏に没入しました。とくにハム速の星3つ以上の「不可解スレ」「聞いてくれ」系の記事が面白かったですね。帰りのバス車内の暗がりで漏れ出る笑いを必至に抑えていたのを覚えています。

 大学受験が終わり、卒業から入学までの休みの間はPS3を購入し、ソニックをやっていました。

 

 で、大学入学してすぐの朝まで生テレビが僕の中のなにかを変えました。世の中にはこんなふうに世の中を考えている人がいるんだなあと思いました。僕は高校生の時から津田大介さんのことは知っていて、『ウェブで政治を動かす!』を読んでいました。その津田さんが出るということでたまたま見た朝生が僕の中ではけっこう衝撃的だったんです。言論ってこういうものなのか、知ってこういうものなのか、と。

 それからネットで堀潤さんとか古市さんとか荻上さんとかを調べ、若手論壇というものに興味を持ちました。若いのにみなさんすげえ頭いいんだな、とかそういう感動がありました。それが最初の体験でした。

 

 その後の詳細は省きますが、僕は今、ニューアカデミズムの旗手と呼ばれる浅田彰『構造と力』を読んでいます。序章には大学新入生に向けたメッセージが書かれており、ああ、これを入学前の春休みに読んでいればなあと思いました。

 

 ここからが本題です。僕は『構造と力』だけじゃなくて思想書とか経済書とかを春休み中に、もっと言えば高校生の時から読んどくべきだったと後悔しているんです。ちょうど、ガンダムをたくさん見てきたあの2人のように。というかそもそも、本っていったら小説以外の書物は思いつかなかったんですよ、高校生の時のアホな僕は。書店の人文書コーナーにおいてあるような本ってものが、まあ存在することは分かっていたと思うんですけどそれは高校生とかが読むものじゃないって思っていたんですよね。というか世の中の高校生はみな小説しか読まないという先入観さえ持っていた可能性があります。実際そんなわけないのに。

 実際そんなわけない。それがポイントです。そうです、世の中には高校生の時から小林秀雄の文芸評論とか東浩紀美少女ゲーム論とかマイケルサンデルの政治哲学とかをひと通りばっちり読んでるやつが一定数存在するんですよ! 他方で僕はそういう知が存在することすら知らなかった。小説を読んだり書いたりするだけで。

 

 しかしよく考えてみれば、受験の現代文の勉強で蓮實重彦小津安二郎の論考を読んでなるほどなあと関心した記憶があるし、なによりセンター本番で小林秀雄が出題されていたじゃないですか。そういう伏線みたいなものは幾重か張られていたのに全然引っかからなかった。なんでだろう? それが僕が最近考えていることです。

 今一生懸命、哲学の入門書とか評価の高い映画とか名作と言われる美少女ゲームを読んだり観たりプレイしたりしていますが、数が多すぎる。気づいたら大学2年生の春休みもまもなく折り返しが迫っているんです。それに自動車の免許もまだとってない。というか教習所に入る手続きもしてない。時間が無い。いや時間はあるけどあまり気力が湧かない。本を読むスピードが遅い。

 

 ……ということで、高校生の時になーんで僕は映画や思想や評論とかに慣れ親しむ機会がなかったのかと考えています。べつに重い本を読んどきゃよかったとは思わないんですよ。しかし新書程度の本ならもっとたくさん読んでも良かったのでは、と今でも思わずにはいられません。僕が高校時代に読んだのは『TPP亡国論』とさっきも書いた『ウェブで政治を動かす!』だけでしたから。そうしたら、大学に入学してからスムーズに、図書館の本を濫読出来たかもしれなかったのに。硬い文章を読むことに慣れ、読書ペースも上昇していたかもしれません。

 とはいえ後悔先に立たずで、こんなことだらだらブログに書いていても仕方がないんですよね。いま、小中高となにをしてきたのかを書いてきたわけですが、これで結構僕は今につながることをいろいろやってきたという気もしてきました。

 たとえば深夜ラジオを聞いていなかったら、中3の時からいままで続けているツイッターをここまで好きにはなってなかっただろうし(2010年から震災の間にTLを眺めていた経験は僕をツイッターに惹きつける大きな出来事だったと思う)。それに今ファンになっている東浩紀さんのことを知ったのはたぶん深夜ラジオでした。

 

 なんだか書いているうちに、考えているうちに、これはこれでよかったのかなという気持ちになってきました。大学生は人生の夏休みらしいですし、好きなことをやっていれば、それもあとになって振り返ってみれば、この記事みたいに、最後は肯定できるのかな。分からないですが、とりあえず今は本を読み映画を見続けるだけです。