研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

インセプションと幼少期の思い出

 数年ぶりに見ました。いつ見たのかは覚えていません。Evernoteに感想を書いていたと思っていたんですが、検索しても出てきませんでした。本当にいつ見たのだろう。高校の時だと思うんだけど。大学入ってからかな? いずれにせよ僕はコマがよろよろと回り続けて結局夢か現実かが示されないままクレジットに突入するというあの演出だけ記憶に残っていました。 

 僕は『インターステラー』を見てから『ダークナイト』『メメント』『フォロウィング』などなどクリストファー・ノーラン監督の映画を全部レンタルして見てきて、なんてすごい作家なのだろうとファンになっていたのですが、『インセプション』は久しぶりということで以前とは確実に見た感想は変わりました。

 やっぱりノーランは時間の操り方が上手い。夢のなかでは現実世界よりも時間が速く進む。現実での5分は夢の中での30分とかになる(細かい数字は覚えていなません)。ここらへんはインターステラーの重力の強い星に下りた時と似ていますね。

 で、この作品では夢のなかで更に夢のなかに入るという多重構造を成しています。深い階層に入るほど深層心理との関係が深くなる。深く潜るほど人の秘密や過去の記憶が夢に反映されやすいし、夢のなかで起きた出来事が現実での深層心理に影響を及ぼす。そういう理屈で、第3段階の夢のなかでインセプション(アイデアの植え付け)を行うのが主人公のミッションです。夢の多重構造と深層心理の関係は納得。「深層」という言葉が調和しているし、深く潜って人の心の中心に辿り着くということのメタファーにもなっています。

 演出についてはもうやっぱりノーランだって感じです。現実(飛行機内)、第1階層(市街地のバン)、第2階層(ホテル)、第3階層(雪山)、第4階層(コブとその妻モルとの思い出)という5つの世界を並行的に描いている。最深部まで潜ったアリアドネや他のメンバーが第1階層まで一気に戻るときの「上昇感」はすさまじい。各階層での「キック」がこうして鮮やかに連結するさまはノーランの叙述のうまさが如実に現れています。

 音楽による盛り上げ方もすごい。作曲には『ダークナイト』のサントラも担当したハンス・ジマー氏が関わっているそうです。納得の迫力だと思います。

 それにしてもインセプションの設定は哲学的洞察に満ちていますね。「この現実」を夢かもしれないと疑うのは懐疑論とか不可知論みたいなものを分かりやすくしたものだと解釈することもできます。

 深く潜るほど時間の流れが速くなるというのは私たちが経験的にも感じることですが(例えば退屈な授業中の5分間の居眠りで大冒険活劇を視ることもある)、これは長い人生のなかでの人間の生き方を構造的に示しているんじゃないでしょうか。小学生のときは時間がもっと長かったということには大多数の人が同意するでしょう。子どものとき、私たちは目の前の出来事に夢中で、それに対して深く潜り込んでいました。夏休み、学校のプールには何百回と通ったような気がするし、サンタクロースがプレゼントを持ってくるのを待ち望む数日は永遠に感じたはずです。けれども「この世界」に慣れてしまった私たちにとって日常は惰性化し、ひょっとしたら退屈とさえいえるかもしれない。桜の開花をツイッターで知り、花見でも行くかと思った頃にはもう散り始めている。そうかと思えば梅雨がやってきて、「もう夏か」などとつぶやいている。

 夢の世界に潜ること――コブにとっては妻との思い出に引きこもり続けること――は、幼少期に遡ることのようでもあります。実際私たちは幼少期のアイデアや習慣を今になっても保っていることが多い。そんな過去と現在を往還するクリストファー・ノーランは、私たちを「ここではないどこか」へといざなってくれるのです。