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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

なぜ街で女性を目で追ってしまうのか

先週から大学の後期が始まりました。

大学には夏休み中にもちょくちょく行っていましたが、やはり授業が始まると人の量が全然ちがいます。

世の中にはこんなにも若い男女がいるのか、そしてその男女がこのような狭い空間にひしめき合っているとはなんと奇妙な場所なんだと思います。

 

秋めいてきたとはいえ、まだまだみんな薄着です。

弊大学はキラキラ偏差値が低いとはいえ、一部の女子たちはスカートの上になんかスケスケレースみたいなのを羽織るコーディネートなどでキメています。


そういう女子を見かけると、つい目で追ってしまう……あんまりこういうのはよくないとわかっていても。


例えば教室を移動していたら、壁に寄りかかってスマホをいじっている可愛い女子を見つけた時の行動を考えましょう。

チラチラ顔を拝見しながら横を通り、通り過ぎてからも後ろを1回は振り返ります。

もし相当レベルが高かった場合は、2回以上振り返るか、近くで停止して自分もスマホをいじるふりをしながらチラチラ顔を見るか、あるいは急に別の用事を思い出した人を装ってUターンしたりします。

でもこれをすると、知り合いに見つかったときに怪しまれるというリスクも背負うんですよね。だからいかに自然に振る舞うかが重要なわけです。知り合いに見つかったとしても変に思われない程度のチラ見。


これが大学じゃなくて街中だったら好きにチラ見できるんですけどね。とはいえチラ見される側の気持ちも考えるべきですが。

それに女性をチラ見するのって結構側から見ればバレバレなケースも多いんですよね。街で明らかに特定の女性を目で追ってる男性ってよくいるんですよ。よーく街の人々を観察しているとわかります。あいつあの人のことめっちゃチラ見してんなと。

そういうのを見ると、ああ俺もあの男みたいに浅ましく愚かしいのかなと反省してしまうわけです。俺があの男を冷ややかな視線で見ているのと同じように俺も誰かに冷ややかな視線で見られているのかなと。


逆に知り合いと一緒に歩いているときに美女を発見したときは面倒ですね。めっちゃチラ見したいし振り向きたいんだけど隣にいる知り合いにバレたくないし。だから涙を飲んで美女をスルーしたりします。


女性はこういうのはわからないかもしれないけれど、男は日々こういう葛藤のなかで生きているわけです。


ところで僕はこの「目で追ってしまう問題」を考えているときに気づいてしまったのですが、我々が女性を目で追うのは必ずしも顔が綺麗な女性だけではないんですね。時には後ろ姿が綺麗だったからストーキングすることもあるんです。

これはなぜか。僕は考えました。そこで思ったんです。それは「見返り美人図」理論なのではないかと。


見返り美人図とは、江戸時代に菱川師宣という男が書いた有名な浮世絵です。画像は各自ググっていただくとして(というか超有名なのでご存知だと思う)、あれは江戸の女性が後ろを振り返っているところを後ろから見た絵なんですね。江戸時代なので着物を着ているんですけど、その着物がファッショナブルであり顔もよいという点で美人なのだそうです。


それで思ったんですけど、たぶん菱川師宣は別に人が振り返った姿に美を見出していたわけじゃなかったんじゃないでしょうか。


これは誰でも経験があることだと思いますが、後ろ姿は綺麗だったけど顔はそうでもなかった、がっかりだぜっていうことがたまにあります。いやそれなりの頻度であります。


では「後ろ姿は綺麗」とはなにか。後ろ姿の綺麗さを我々は何で判断するか。それは服だと思うんです。服がファッショナブルかどうか。

冒頭で僕は次のように書きました;

『(…)一部の女子たちはスカートの上になんかスケスケレースみたいなのを羽織るコーディネートなどでキメています。

そういう女子を見かけると、つい目で追ってしまう……(…)』

これは男性の皆さんならよくあることだとわかっていただけると思います。

あとは現代なら髪型や髪色がおしゃれかどうか。つやつやの茶髪でふわふわのポニーテールとかはポイントが高いですね。そういえばポニーテールという髪型は女子からすると「手間がかからないわりに男ウケがいいから周りの女子から嫌われる」ので敬遠しがちだそうですね。いやな風潮ですね。

ともかく服装と髪型、その辺で我々は暫定的に「この人は美人」と判断し、ストーキングを開始するわけです。

で、顔が見える瞬間を今か今かと待ち続けます。それは言いかえれば、女性が後ろを振り返る瞬間ーー見返る瞬間ーーに""賭けて""いるわけです。

そして女性が振り返ったときに、美人だったときは嬉しく(やった俺の目に狂いはなかった)、そうでもなかったときは微妙な気持ち(まあでも後ろ姿はよかったよね)になります。


菱川師宣はこの""賭け""に勝ったときの喜びを表したかったのではないでしょうか。


そしてこうした考察を経て我々が感嘆すべきなのは、


「江戸時代に菱川師宣が抱いた(と思われる)気持ちを、現代の我々もパーフェクトに理解できる」


という事実です。
だから見返り美人図は全く褪せないのでしょう。そして我々が街で女性を目で追ってしまうのは、菱川師宣も体験した「賭けに勝ったときの喜び」を我々が忘れられないからなのです。