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研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

文学って読む必要あるのか?

孤独論

1つ1つの仕事のメールで落ち込んだりしてはいけない。全体として仕事が成功すれば、全体としてプラスならばいい。個別の小さなマイナスを気にしてはいけない。


なぜ小さなマイナスを気にしてしまうのか。痛いからだ。小さな傷跡に驚いてしまうからだ。繊細だからだ。


国語の授業で文学を読む。人の心の繊細さを知る。それを言語化する。人はみな弱さを持っていることを知る。


しかし社会ではそのような弱さを隠蔽することが求められる。いちいち細かいことにつまづいて、それについて深く考えてはいけない。


人間はそんなに簡単に合理的になれるものだろうか? トータルでプラスになるのなら、今目の前で起きた出来事を気にしないなどということができるんだろうか? 人間は、人間だから、そうやっていちいち細かいことでつまづいて立ち止まってしまうんではないだろうか。そうして立ち止まった時に考えたことを表現したのが文学の一つの達成したことじゃないのか。「こころ」とか。


おかしいじゃないか……社会は学生にたくさん本を読め、人のことを理解しろという……だが社会では繊細な心を持つ人間は役に立たない。社会はむしろ個々の失敗や人を説得する際の罪悪感に鈍感な人間を欲している。


おかしい……社会は矛盾している。こんな社会は変わるべきだ。


しかし本当にそうだろうか?

 

間違っているのは本当に社会の方なのだろうか。


もしかしたら逆ではないだろうか。

 

文学を読み繊細な心を育んだ人間が社会で役に立たないのならば、学生は文学を読むべきではないのでないだろうか。

 

つまり、間違っているのは繊細な人間が生き残れない社会の方ではなく、人間を繊細にしてしまう文学の方なのではないか。


僕たちは文学なんて読まない方がいいんではないか。