研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

「俺あの人に嫌われてるのかな」は勘違いである可能性がある(ような気がする)

どういうことを書こうと思ったか。それはまず、次のような経験から始まる。
某部署の研修をしていた時、俺は教育係のNさんから若干の拒否感を感じた。……いやそれはもう本当に勘違いだったと今ではいえるけれども。
というか、要するに何をいいたいかというと、人は必ずしも笑顔でにっこりして返事をしてくれるわけじゃないという、とても当たり前のことをわかっていたなかったということだ。忙しいときに話しかけられたりしたら、どんなに優しい人でも一瞬のタイムラグが発生するだろう――笑顔を完成させるまでの。僕はそれはもう恥ずかしいまでの自意識過剰で、相手の表情が少しでも今までの「パターン」と異なることを察知すると、「なんか間違ったことをしてしまったかな……」と、反省を始める。しかし大抵の場合、それはなにか間違ったことをしたのではなく、相手がなにか違った状況にいるというだけだ。たとえばちょっと面倒な仕事に手を焼いている、とか。そういうわけで僕が話しかけた時、相手の人は違った「パターン」を示す。それを自分がなにか間違った結果と勘違いせず、フラットに接していくことが大事だ。
 
思えば大学2年か3年のころ、図書館でFに会った時、「よっ」と手を上げて笑顔で挨拶して、そして去ったのだが、後日、Fが「俺、S(筆者)から嫌われてるのかな……」と感じたということをWを通じて告げられたことは、この話を反対から説明している。俺は別にFのことを嫌ってなどいない。ただ図書館の中だったし、やることがあったので、「よっ」とだけいって去っただけだ。それを根拠にFは嫌われてると感じたようだが、それは勘違いだ! 気にしないでほしい。(ところでこのように「自分Sから嫌われてるのかな……」と思った人は、Fだけでなくいろいろいそうな気がする。それも自意識過剰なのかもしれないが。)
 
Nさんの話には続きがある。俺はNさんがとても忙しそうにしているため、話しかけづらいと感じることがたまにあった。そのことを同期のIに話したのだが、Iはまったくそのようなことはないという。また、先輩のIさんもNさんは優しい人だといっていた。
俺もNさんは優しい人だと思う。でも、Nさんは、なんというか……こういうのは失礼だけど、あんまり愛想をつくるのが得意ではないようにお見受けする。僕が話しかける時にがんばって笑顔を作っているように感じる。僕はそういうところに無駄に敏感なので、それがわかってしまうのだ。俺がNさんにとって無理して愛想をつくらなければならないような人物であるのなら、俺はNさんと距離をとったほうがいいのではないか……そのほうがNさんもラクになるのではないか。そういうことを考えてしまう。
(しかしここで注意するべきなのは、俺と話す時のNさんがそういう感じがするというだけで、別にほかの人と話す時のNさんはそんなに無理して愛想笑いしているようには見えないということだ。まあそれは単純に長く仕事をしてきた人との接し方と新人との接し方の差にすぎないとも思うが……。)
とにかくここで大事なのは、俺はNさんに嫌われてるのか嫌われてないのかということだ。結論をいえば、べつに嫌われてはいないと思う。
だけど僕はこの結論を積極的に擁護する気になれない。その理由はMさんだ。僕はかつてMさんは……まあいいだろう。とにかく人は得てして相手の考えを無駄に忖度したり、あるいは盲目的に蔑ろにしたりして、勘違いしてしまうことがある。つまり本当は嫌われてるわけでもないのに嫌われてると勘違いして接触を控えたり、実はあまりいい印象をもたれていないのにも関わらずいくども接点をもとうとしたりする。そういう勘違いをしている可能性を捨て去ることはできない。しかしだからといって「俺はNさんから嫌われている!」という構えを形成するわけにもいかない。相手がNさんに限らずね。結局どうすればいいのかはわからずじまいだな。