研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

なぜリベラルは政治的に正しいのに勝てないのか

リベラルは自分のことを正しいという。しかし一方で、リベラルでない人々もまたリベラルのことを「正しい」という。この鉤括弧つきの「正しい」というのが重要だと思っていて、つまりリベラルでない人たちもリベラルは狭義には正しいと思っているのだ。ただ、正しさを追求するとその裏側で不都合な歪みが生じるため、それは正しさではなく「正しさ」なのである、という認識がそこにはある。たとえばLGBTの権利をめぐる問題。LGBTにも異性結婚と同様の諸権利を確保するのが政治的には正しい。けれども保守の側からするとLGBTの諸権利の確保は「古き良き家族」像を破壊し、社会的強度の劣化、人口減少等のさまざまな歪みをもたらすものとして理解されている。これが保守が「リベラルは『正しい』」とする理由だ。彼らはリベラルを「正しい」とは思っている。しかしその正しさは、なにを差し置いても実行する正義にはならない。

ところでこの理論によれば、保守とリベラルは「正しさ」の概念をある程度共有しているということになるーー少なくとも鉤括弧つきの「正しさ」は。では、どうすればその「正しさ」が前面にせり出し、本当の正義になることができるのか。リベラルが考えるべきはそのロジックである。そのロジックとは……