研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

ラブライブ二期ED「どんなときもずっと」に裏切られるオタク

いい曲ですよねー。穂乃果が夕焼けに手を伸ばして鳥の群れが羽ばたくところや、メンバー揃って揺れながら合唱するところとか、微笑ましさマックスでとっても好きです。かわいい。癒される。羽持ってにこってする彼女たち、まさに女神としか言えない。九人の女神。

 

回を重ねて聞くことで気に入ったフレーズ

「たまにはゆっくり 君のペースで やりたいことたち みつめてごらん そのあと がんばれ」

これが最近様々な焦燥感に追われる僕を心地よいどこか(具体的には妄想的二次元)にいざなってくれるのです。九人の女神たちが、優しく手を握って連れてってくれるのです。

 

で、九話で感極まってitunesでダウンロードして初めてフルを聞いたんですが、悲しい気持ちになりました。

 

問題の歌詞はこれ。

「強くなれ 自分から逃げちゃだめ 強くなれ 焦らずに受け入れて自分を それが大事なんだ」

 

待て待て?

自分から逃げちゃだめ?

おいおい勘弁してくれよ……

 

現実でのダメな「僕」から離れて、「ゆっくり、僕のペースでやりたいことを見つけられる世界」に僕は行くんじゃないのか?

 

ここで哲学的な問題が浮上するんですが、現実の「僕」と女神たちに手を引かれる「僕」はなんなのか? 「僕」から逃げる僕とはなんだ? ってことです。

 

まあ本質的にはどちらも逃避グセのある奴ということで変わりないんですが、僕は、先の歌詞で言う「自分」を酷く嫌っている傾向にあります。

 

すなわち、このブログを書いている僕は女神たちに手を引かれる「僕」であって……しかしその「僕」は妄想的二次元に定位するはずの存在であるから……

 

おや? もしかして僕はもはや二次元の存在になったということか? やったー

(おわり)

 

 

どんなときもずっと

どんなときもずっと