研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

『世界から猫が消えたなら』を観て思ったこと

結論から言うと良かったです。

 

この映画、一見「失ってはじめて大切なものに気づいた」系のテーマに感じます。主人公は電話、映画、時計を世界から消し、その代わりに寿命を一日延長していきます。そのなかで、電話や映画によって支えられていた人間関係の大事さを思い知ります。だからたしかに、喪失→気づき系映画ではあります。

 

けれどもぼくは、この映画はむしろ「大切なものを失ったのにそれでも生き続ける理由ってなんだ」系だと思います。劇中、主人公とその彼女が旅行先でとある男性と仲良くなるのですが、その男性が交通事故で死んでしまうというエピソードがあります。

 

そして主人公の彼女は言います。「私が死んでも世界は変わらない朝を迎えるのかな?」答えはむろんイエスです。だから彼らは、現地で仲良くなった男性が死んでも生き続けるのです。これは原作にはなかったエピソードですが、先のテーマをよく表しています。大切なものがなくなっても人は生き続ける。

 

ではなぜ主人公は生き続けるのでしょうか? 電話や映画、時計がなくなった世界で、彼は何に支えられて生きているのでしょうか? その問いに対するこの映画の答えは「猫」なわけですが、当然これはメタファーに過ぎず、本当の答えは映画を観た各々が見つけなければならない……といったところでしょうか。

 

このテーマは川村元気の他著『億男』にも通底します。億男の主人公は、宝くじで手に入れた大金を一夜にして失います。お金のおかげで命拾いしたにも関わらずです。それでも彼は生き続けます。そしてお金よりも大切なものを見つけます。つまり、大切なものを取り去り続け、最後に残ったものに本当の価値を見出すのです。*1

 

だからたしかにこの映画は「失ってはじめて大切なものにきづいた」というテーマではあるのです。しかし失ったもの=大切、というわけではありません。大切だと思っていたものを失ったのに、それでも生き続けて"しまうことができる"のはなぜかと問うた先に、本当に大切なものに気づくのです。

 

というわけでいろいろ考えることができる映画だったのですが、物語として面白いかどうかと言われるとうーんという感じで、もし十分な睡眠をとらずに観に行っていたら寝てただろうなと思います。でもいい映画でした。

 

 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 

*1:ちなみに『億男』には、「親友を事故で失ったのに飄々と生き続けている自分に嫌気が差した」と語る人物が登場します。彼もまたこのテーマを象徴しているといえます。この『億男』に出てくるエピソードを『世界から猫が消えたなら』に輸入した結果、先に紹介した旅行先でのエピソードが映画で追加されたのではないでしょうか。