研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

出版就職活動日記(6月~終わり)

6月3日

○○○研究所のGD&1次面接。豊洲には開始時刻の2時間前に来ていて、周囲をぶらついていた。しかし大変なことに、13時開始だというのに僕は13時半開始だと勘違いしていた。それに気づいたのは12時55分ぐらいのことだった。よく気づいたものだ。神がかりな天啓といってよい。あの時なんとなくメールを見直していなかったら、終わっていた。

さて、参加者は10名。長机を長方形に並べた会議フォーメーションで、長い方の1辺に面接官が5名座っている。GDのテーマは「新しい採用活動」で、制限時間は45分。人数が多い上にみな物理的に距離が離れているので、あんまり活発的な議論になりにくく感じた。そして面接。全員に対して5人の面接官から一つずつ質問がなされる。最近あった嬉しいこととか、ストレス発散の仕方とか、そんなことだった。

解放後はみんなで喋りながら帰った。やはり出版社志望が多かった。しかしこの中の誰が落ちるんだろう、と思うとなんだかつらくなってきた。

 

6月4日

 光○社の筆記試験。平河町のビルのホールで行われた。文章読解とか英文読解が出題されたのはたぶんここだけではないだろうか。センター試験を思い出して嫌になる。うーん。まあまあできたと思う。

 

6月7日

○○○○ヴァ○○1のプレゼン&3次面接。プレゼンは、3分間で自己PRをするというもの。パワーポイントを用意し、社員10数名および社長の前で行った。ちなみにこのプレゼンは説明会や面接の控えとして使われた部屋で行われ、選考通過者全員が一堂に会した。先月千駄ヶ谷の出版社の説明会で会った男はいなかった。2次で敗退したのだろう。

みなそれぞれ大学名と氏名をパワポに載せていた。やはり高学歴だった。僕は唯一大学名を載せなかった。別に色眼鏡で見られるとは思っていないが、周りの学生から何かしらの先入観を持たれるのが嫌だったからだ。

3次面接は、社長と人事との個人面接。和やかなムードで行われた。あまり突っ込んだ質問はされず、とんとんと逆質問になる。個人面接なのに、いままでの集団面接と同じぐらいの時間で終わった。これは大丈夫なのか?

 

6月11日

K○○○○○○Aの2次面接。1対1の個人。まず、「わたしの好きなこと」で5分間のプレゼン。A4ペラ1に画像とかを載せ、それをもとに俺がいかに地下アイドルに関心を寄せているかを語った。面接官の人は「ふーん」て感じで眼鏡を外したり掛けたりしていた。その後、面接。

「なぜ出版に関わりたいの」「インターンをやって出版が面白いと思ったからです」「なんでインターンをやったの」「サークルで小説を書いていて、やるなら出版関係かなと」「なんでサークルで小説を書いているの」「高校の時小説を書いて友達に見せたら面白いと言われたので」「なんで高校の時小説を書こうと思ったの」「頭のなかにある話を表現しようと思って、絵は描けないし文章が手っ取り早いと思って」「なんで頭のなかにある話を表現しようと思ったの」「それで面白がってくれたらいいなと思ったので」「なんで面白がってくれたらいいなと思ったの」「星新一のショートショートが好きで、それを読んだときの楽しさを他の人にも味わってほしいなと思って」「なるほどね」

 めちゃくちゃ深掘りされた。さらに最後には、「君を3次面接に残す理由を3つ教えてください」と言われた。僕にはまだまだアピールすることがあります、しかしそれはまだいままでの面接で話していません……みたいなことを答えた。いままでにない質問だったのでかなり動揺した。声も自信なさげになってしまった。これでだめならしょうがない。

 

6月15日

 ○○○○ヴァ○○1から3次面接のお祈りが来る。そうかい。何が良くなかったのかさっぱりわからん。「なお、選考の理由に関してのお問合わせには一切お答えできません」とのこと。そんなこと言われなくてもわかってる。ここまで進んで落ちたのは初めてだったので、ショックだった。

 扶○社の筆記試験。浜松町のホテルで行われた。かなり金がかかっているように思う。簡単な漢字の読み書きと比較的平易な一般常識、そして作文。三題噺で、お題は「白」「ライン」「舞」だった。僕は「伝説の黒いマント」という、ミリタリー風のアクション小説を書いた。隊長が新人兵士を引き連れて敵の偵察に行くのだが、新型毒ガス攻撃でやられてしまう。しかしじつはこの二人は人間ではなくゴキブリで、毒ガスというのは人間が撒いたスプレーだったのだ……なかなかうまく描けたのではないかと思う。

 試験終了後、光○社から筆記試験のお祈り。会社がつくった採用ホームページにお知らせが届いていた。どの会社もメールアドレスに個別にメールを送ってくるものだが、そういう手法ではなかった。

 こう続けざまに憧れの会社から拒否されると、わかっていたことではあるけれどもつらい。この会社は正直かなり行きたかった会社なので、余計つらかった。いよいよ本当に持ち駒がなくなってきている。このころ自分が書いたブログを読むと、そのつらさがよくわかる。

 

6月18日

 K○○○○○○Aの3次面接。面接官2名の個人。最初に新事業提案のプレゼンを5分間。「事業」の定義は問わずなんでもよいとのことだったので、僕は書籍企画のプレゼンをした。終了後、一番に「あの、今回のプレゼンのテーマはなにかわかってる?」と聞かれる。電撃が走る。「はい、企画ならなんでもありということだったのでこのような提案をさせていただきました」「ふうん」あ、だめだとわかった。

 部屋を出ると、僕以外の学生はまだ別室で面接を続けているようだった。僕が一番早く終わったのだ。もうきっとここにはこないだろう。そう思うとなんだか悲しくなった。僕は未だに、交通費の入れられた、社名入りの封筒を捨てられていない。

 

…………………………

 

7月11日

 大学の図書館で寝ていると、携帯電話が鳴った。知らない番号だった。どこで出ればいいのかわからずあたふたしていると、切れてしまった。そこで番号をネットで検索してみた。数日前に最終面接を受けた会社だった。どういうことだろう。図書館を出て、折り返す。

 就職活動が終わった。

 人事の方が何事かを言い、僕はそれに対して何事かを返した。それは普通の会話ではなかった。21年間の人生で培ってきた会話の反射神経が、勝手に適切な返答をしていた。どういうことかというと、その時僕は何も考えていなかった。電話をしながら、まったく別のこと――人生、社会、あるいは宇宙について――考えていたおそれがある。僕はそのとき手帳を開き、書類サインのための来社日の予定を書き込んでいた。記憶にないのだが、手元の手帳にはその記録が残っているので間違いない。

…………いや、嘘だ。これは全部嘘だ。真実はその反対だ。

「選考の結果、○○さんに内々定をお出しすることに……」

「ありがとうございます!」

 ……何を言われ、何を言ったのか……僕は鮮明に覚えている。

 そう……僕はそのとき、意識が飛び、上の空になり、放心状態になどなっていなかった。僕はきわめて冷静だった。内定をもらったという事実を、しっかりと受け止めていた。

 それは内定を予期していたからではない。最終面接で手ごたえを感じていたからでもない。むしろ全然だめだとさえ感じていた。「努力は決して裏切らない」などと、安っぽい言葉を信じていたからというわけでもない。

 しかし僕は冷静だった。いや正確には冷静ではなかったかもしれない。けれども内定をもらい、喜び、舞い上がっている、というよりもどちらかといえば就活という呪縛から解放された喜び、に満ち満ちている僕を僕は俯瞰していた。そのような気持ちだった。つまり、「内定を得た人はこんな気持ちになるんだなあ」と自分自身を観察していた。

 ある意味では究極的に冷めていたともいえるだろう。熱されている自分を冷たい視線で冷却しようとするシステムは、こんなにおめでたいときでさえ例外なく起動する。それは自分でも不思議だった。内定が出れば、流石にその冷却システムは停止するだろうと思ったからだ。でも僕は、内定がでても、あんまり喜びを表にしなかった。いや、表に出すまいとしていた。のかもしれない。

 その後だが、僕は喫煙所で煙草を無心のまま3本吸い、トイレに行き、母親に電話し、ツイッターで何か良いことが起きたことを仄めかすツイートをし、帰った。

 

 新宿御苑の緑は色濃く、風が吹く旅にその豊かな葉々をこすり合わせた。

 蝉の鳴き声はまだまだ聞こえない。

 空を見上げると、厚い雲が立体的な影をつくっていた。

 夏はいつのまにか僕の目の前に来ていた。