研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

平行世界の偶然性――『orange』について

佐々木敦の『未知との遭遇』を読んでいるんですが面白いです。まず最初の「ビギナーの憂鬱」からして自分が考えていることと完全一致しましたからね。

 

ネットとその検索というシステムによって、あらゆる情報がアーカイブされ整理された時代、なにか新しい趣味でも始めようものなら、検索した瞬間にその趣味に関するすべての歴史が押し寄せてきます。その歴史を――たとえば初音ミクなら2007年からの楽曲全てを――吸収し理解しなければ、「にわか」で終わってしまうわけです。新しい趣味をもってそれに打ち込むのも困難な時代ですね。

 

未知との遭遇【完全版】 (星海社新書)

未知との遭遇【完全版】 (星海社新書)

 

 

さて、『未知との遭遇』はまだ読んでる途中なんですが、考えたことがあるので今日はそれを書きます。それは就活と平行世界についてです。

 

就活を無事終えたものの、僕のなかには、「たまたま偶然内定が得られただけで僕が内定を得られたことに必然性はなかったのではないか」という不安がつねにすみついています。つまり内定を得られたのは偶然に過ぎず、僕の資質が認められたというわけではないのではないか、ということです。

 

面接は水物です。面接官が誰か、面接官の今日の気分はどうか、僕の今日の気分はどうか、面接官と気が合う人かどうか……さまざまな偶然性によって、合否は左右されます。したがって僕が内定を得られたことには、大した理由はないのではないかと思うのです(偶然というのは、言い換えれば「理由がない」ということです)。

 

イメージとしては次のようになります。

 

100個の平行世界があります。そのうち99個の世界では、僕は就活に失敗し、途方に暮れています。しかしそのうち1個の世界では、僕は就活に成功し、残りの大学生活を楽しんでいます。

 

僕はその1個の世界にいるんですね。つまり、確率的には100分の1の、極めて偶然的な世界にいるわけです。

 

で、ともすれば、どこかで何かが起こっていれば、たとえば面接前に蝶が羽ばたいていたら、バタフライエフェクト的な連鎖によって、僕は面接に落ちていたかもしれないんです。何か少し違っていたら、僕は内定を得られなかったかもしれないんです。そうして僕は、この100分の1の成功した世界ではなく、99の失敗した世界にいるかもしれないんです。

 

僕はその99の失敗した世界の存在に怯えているんです。

 

なぜなら、僕がいる世界は100分の1という確率の奇跡的な世界だからです。

 

その奇跡の存在理由は、奇跡だからとしかいいようがないんです。まったくの、完璧な偶然によって成り立っているんです。僕がいる世界の土台は、あまりにも脆いんです。

 

だから僕はこの世界を容易には受け入れられないんです。「やったぜ、やっぱり努力は報われるんだ」とか、そういうふうに理由づけして納得出来ないんです。そういう理由付けはこじつけにすぎなくて、勝手に因果関係を構築しているだけなんじゃないかと疑ってしまうんです。

 

だから、僕はたまたま内定を得ることができたけれども、「そうじゃなかったかもしれない世界」について、どうしても考えてしまうんですよね。

 

僕のほかに、99人の就活に失敗した僕が別々の世界にいるんですよ。で、彼らには何か落ち度があったわけじゃないんですよ。成功した僕と失敗した彼らは何も違わないんですよ。ただ、偶然によって分けられただけなんですよ。

 

だから、僕が彼らのように失敗しなかった理由なんてないんです。僕も彼らのように失敗していた可能性は大いにあるんです。

 

で、僕の考えでは、高野苺の『orange』は、僕のそういう考えを反転させた考えを持っているんですね。

 

主人公の菜穂は、死んでしまった友達のカケルを助けるために、過去に手紙を送ります。手紙を受け取った過去の菜穂は、手紙の指示通りに行動し、カケルを助けます。

 

つまりorangeには、手紙を送った方のバッドエンドの世界と、手紙が送られた方のハッピーエンドの世界があるんですね。

 

本編では基本的にハッピーエンドの世界の物語が進んでいきます。そしてラストシーンでは、バッドエンドの世界の主人公が、ハッピーエンドの平行世界に思いを馳せ、「きっと別の世界では私はカケルと仲良く暮らしているんだろうなあ」という想像を巡らせて終わります。

 

つまりここで、主人公の菜穂はこう思っているんです。「私がいる世界はたまたま不幸だけど、きっと別の世界では私は幸せだ。だから明日も頑張って生きていこう。」

 

そしてここで仮定なんですが、orangeには、バッドエンドの世界が99個あって、ハッピーエンドの世界が1個あるとしましょう。そうすると、つまりorangeは、「自分は99個のはずれくじを引いてしまったけど、どこかの世界には、100分の1の当たりくじを引いた自分が存在するはずだ」ということをいっているんですね。

 

ここまでいえばわかるとおり、これは僕が就活で感じたことをそのまま裏返した考えなんですね。

 

僕は就活において、「僕はたまたま成功した。だが、失敗した世界もあったかもしれない。だから素直に喜べない」と考えました。

 

他方、orangeは「私は失敗した。だけど、成功した世界もあったかもしれない。だから頑張って生きていこう」と考えました。

 

この対比ですよね。

 

僕は最初、orangeのこの突飛というか、ある種の力強いこの世界への肯定に、違和感をもちました。そのことは過去ブログでも書きました。

 

しかし就活で考えたこととorangeで考えたことをつないでみると、実はその違和感って、僕が僕自身について思っている変な感じと同じなんですね。

 

やや込み入った話になるんですが、僕は「自分の世界は偶然であるがゆえに自分を肯定できない」という話を淡々と語っていながら、他方では「こんなことを真面目に書くなんてどんだけ屈託してるんだ、馬鹿か、SF哲学とかこじらせすぎでしょ」とも思うんです。つまり自分の考えに違和感を持っているんです。

 

その違和感は僕の内面でもやもやしているに過ぎなかったんですが、orangeという、僕の鏡のような作品に対して違和感が表面化したことにより、僕自身への違和感も表面化した……というような経緯がありました。

 

だからええと、なんていうんですかね、僕がorangeに対して何か変だなと思う感覚は、僕が僕に対して何か変だなと思う感覚と同値なんです。つまり僕はorangeという作品とすごく似ているようなきがするんですね。だから僕はorangeという作品に、1年前に読んだ作品に、未だにこうして考えてしまうのかなと思ったんです。

 

orange : 1 (アクションコミックス)

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