研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

ニューヨーク一人旅の思い出

大学4年生の春休みの最後に一人でいったニューヨーク旅行について記します。もう2ヶ月も前のことです。1万5千字を超えており、長いです。おそらく誰も読まないでしょう。断言できますが、これを僕と関係のない人間が読む必要があるとは思いません。しかしアーカイブのために載せておきます。

 

3月15日

羽田空港で夜を明かすというのは、思いのほか大変なことだった。香港でトランジットした時は、出国後ゲートに入ることができたので、寝る場所はいくらでもあった。多すぎるほどあった。けれども僕がいたのは出国前のチェックインカウンターだった。あらゆるベンチにはだれかが寝ており、なかなかゆっくりすることができない。深夜までやっている店を発見。しかも携帯の充電ができる。入ってカウンターに突っ伏して寝る。隣の席では大学生のカップルがクソつまらん会話をでかい声でしていて、奥のテーブル席では大学生の集団がクソつまらん会話をでかい声でしていた。寝れん。でも寝ていたら、店員にラストオーダーです、と起こされる。深夜2時半。アイスティーを注文し、ちびちび飲み、3時に追い出される。携帯の充電もできねえ。でも探したら開いてるベンチ(木製でとても硬い)を発見。寝る。
朝8時ぐらいに起きる。さすがにこんなところじゃ熟睡できん。歯ブラシがないのでそのまま朝ごはん。吉野家でにんにく豚丼みたいなやつを食う。うまかった。
搭乗案内の電子掲示板を見る。特に遅れなどはないようだった。実は日本時間でこの前日に、ニューヨーク観測史上最大の吹雪があり、空の便に遅れがあったのだとか。影響なくてよかった……と安心する。搭乗が2時とかだったのでめっちゃのんびりする。空港価格のラーメンを食べ、出国後ゲートにはいってこっちにもっと美味しそうなラーメン屋があることを発見し、飛行機に乗る。
デルタ航空。初めて。さすがアメリカ、という感じ。資本力を感じる。まず、前のモニターの解像度がきれい。アメニティ、というかスリッパとアイマスクが配られ、行き届いてるなーと思う。イヤホンが配られるのだが、これがまったく耳にフィットしないゴミのような代物だった。3列シートのど真ん中で、左にややデブ、右に中肉の男に挟まれる。窮屈。とにかくそれがいやだった。アメリカのミネアポリスまで15時間。修行か。これは奴隷船だわ。つらい。飯はまあまあうまかったけど。とくにシャキシャキのサラダが供されるのはよかった。ていうか、メニューが配られるのがよかった。たまに英語で「fこあんふぁorjfまおんf?」とか聞かれてよく分からんこともあるので、あらかじめ文章で提示されると困らない。日本語でも書いてあるし。食後のドリンクの種類も書いてある。スタバのコーヒーがあるのはさすがやな、と思う。
ミネアポリス到着。とにかくトイレに行きたかった。でも列が長すぎる。5分ぐらい我慢して、ようやくトイレの表示を発見。列を抜け、トイレに行く。出て、なんか証明書発行機の列に並ぶ。一度アメリカに入国したことのある人はこっちに並ぶことができる。発行後、税関まで15分ぐらい並ぶ。前の女性がくしゃみして、横の男性が"Bleath you."と言った。ああ、俺もそれ言いてえー! でも言えない。税関では「煙草持ってる?」「一人で来てる?」「ニューヨークに友達いる?」などと聞かれる。むろん一人だし、友達もいない。
荷物をゲットし、入国審査の列に並ぶ。パスポート見せたら、さっき発行した紙の提出を求められる。あれ? ない。おかしいな。そしたら「あの紙を持ってないとお前はここまで到達することができていないはずだ」みたいなことを言われる。確かに。どこにいった、あの紙!? リュックを探すもない。もしかして……さっきの税関の人に見せたあと、返してもらったっけ? あそこで取られたんじゃないか!? さっきの税関のところに向かい、近くにいるおばさんスタッフに話しかける。エクスキューズミー、……あれ、英語でなんて言えばいいんだこれ!? アー……とか迷ってると、おばさんが日本語でいいですよという。日本人かこのおばさん!? いきさつを説明する。「いや、税関の人が紙を取ることはないですよ。探しましょう」ポケットやらリュックやらを再び探す。パスポートを見せる。そしたらおばさんが「ありましたよ」。え? なんとパスポートのなかに二つ折りにして挟まれていたのだ! なんと。二つ折りにしていなければ紙がパスポートからはみ出して見落とすこともなかったのに、俺はわざわざ二つ折りにしていたのだ。「出発まであと10分ですよ!」といわれ、走る。入国審査を通過。次に荷物検査。なんかX線検査みたいなのにならばなければならない。このクソ急いでいる時に! 通過。ゲートはD。案内に従って走る。遠い! 入国ゲートから一番遠い場所だ。ふざけんな。なんとか乗る。3列シートの真ん中。左側にアメリカ人の女性が座る。そしたらその女性がCAに「左側の席空いてる?」と聞いた。なんだこいつ。おれと隣同士になりたくねえってのか。ふざけんな。と思いつつ、寝る。ラガーディア空港までは約3時間。長いけど我慢するしかない。


到着。窓からは、寒々とした空が見える。夜だ……。降りる。すでに入国済みなので、特に面倒な審査はない。荷物をゲットし、バスのチケットを売ってるお姉さんからペンシルバニア駅行きのチケットを購入。バスに乗る。寒い。暖房が効いてない。バスが交差点で雪にタイヤを取られ、抜け出せなくなってしまう。何度も何度もアクセルを踏み、やっと抜け出す。その時、後ろの方の座席からFOOOOO!!!888888と歓声が湧く。おお、これがアメリカ! いいな。その後高速に乗り、マンハッタン島へ。窓から煌々と輝く摩天楼が……俺はこれからニューヨークへ行くのだ!
ペンシルバニア行きのチケットを購入したけど、先にグランドセントラル駅に止まるらしく、そこで降りる。まあお金はどこで降りても変わらないのでいい。降りる時も何もいわれなかった。こっちのほうがホテルには近いのだ。
降りる。くっそ寒い。というか、あちこちに雪が溜まっている。そして時刻は夜8時半。暗い。都心部とはいえちょっと怖い。初の一人アメリカ、しかも夜からのスタート。とにかく歩くしかない。この時気づいたが、アメリカ人は歩くのが早い。脚が長いからだ。そして信号を無視する。車が来てなければ渡る。最初のいくつかの信号はちゃんと守ったけど、途中からそれに習って無視するようになる。CVSpharmacyという薬局を発見し、入って水とサンドイッチを買う。無人レジがあったのでそこを使う。で、ホステルへ。いくのだが、なぜかそこにはジムが。あれ? 間違えた? しかし何度確かめてもここだ。、勇気を出して入ってみると、どうやらここは一階がジムになっているだけで、上はホステルなのだそうだ。チェックインし、部屋へ。狭い……ニューヨークではかなり安いところを選んだのでやむを得ない。しかしそれでもかなり高いのだ。具体的な金額は忘れたけど。とりあえずそこでサンドイッチを食い、共用のシャワールームでシャワーを浴び、くつろぐ。問題発生。まず、Wi-Fiにつなぐのにパスワードが必要なのだそうだった。しかしそのパスワードは教えられていない! モバイルルータを使ってググりまくるも、よくわからない。めっちゃググる。なんか会員登録画面などがあったので登録してみるも、パスワードらしきものはなく。明日フロントで聞くしか無いな……英語でなんて言えばいいんだろう、と考える。とりあえず今日はユーチューブは見れないな……。次に、暖房が異音を発する。これがたいへんな音だった。1時間に一階ぐらいの頻度で鳴る。最初、暖房機のなかに人が入ってハンマーで叩いているのではないかとさえ思った。そういう音なのだ。ただごとではない異音だ。正直、怖い。後日ぐぐったところによると、これはだれかがシャワーを使っている時になる音なのだそうだ。しかしなんでそんな音がなるのか。ネットの書き込みによると、フロントに相談してもどうしようもないらしい。曰く、どの部屋でも同じだと。

 

3月16日
ニューヨーク2日目。掃除のおばさんがいろんな部屋をノックしてハウスキーピング?と聞く音で目が覚める。ただちにDo not disturbedの札を掛け、出かける準備をする。もう10時か。出て、フロントでWi-Fiの件を聞く。普通にパスワードの紙をくれた。なんでチェックインの時にくれないんだよ。とにかくコネクトする。で、マンハッタンのグーグルマップをダウンロードする。これでオフラインでも勝つる。出る。ニューヨークの朝だ!
とりあえず地図を見ずに歩く。図らずも国連本部の近くを通り、とにかく地図を見ずに歩く。雪が多い。そして寒い。朝ごはんを食べたいのだが、また薬局でサンドイッチを買うのも味気ない。どこで食べようかな、でもなんかここ英語しゃべれないと入るの難しそうだな、ということでどこにも入れない。結局コリアンタウンなどを経由し、ワールドトレードセンターに。そしてウォール街。ホステルがミドルイーストなので、実はたいへんな距離を歩いてきている。無駄に歩きすぎ。ニューヨークを肌で感じたいので地下鉄やタクシーは使わない方針なのだ。ウォール街の屋台でチキンオーバーライスを食べる。屋台のおじさんと、日本のコーヒーは高いのかみたいな話をする。これが5ドル。安いし、うまいし、量が多い。イーストリバーのほとりでクイーンズを臨みながら食う。とってもうまかった。とくに付け合せのファラフェル(ひよこ豆をすりつぶしたもののコロッケみたいなもの)がくそうまかった。のち、僕はこのファラフェルをめぐって、いろいろな屋台に挑戦することになる。
その後、ウォール街の一番有名なところ(何ていうのか忘れた)を通り、チャイナタウンを経由して、ホステルに戻る。途中で本屋に立ち寄り立ち読みしていると、中国人に英語で話しかけられる。よくわからないので「?」みたいな顔をしていると中国語にチェンジしてきたので、ソーリーアイムジャパニーズと言うと、どこかに消えていった。退店すると、とたんにたいへんな便意を催しはじめる。青木まりこ現象(遅効性)だ。グランドセントラル駅に入るも、どこにもトイレの表示案内がない。不親切過ぎる! しかし駅に入ると自然と便意が消えた。そしてホステルにもどり、トイレに行き、部屋で本場のモンスターを飲んでいたら、いつの間にか寝ていた。まだ4時前だったが……相当疲れたのだろう。
起きると夜9時だった。なんと。こんな時間に起きて、何をすればいいんだろう……とにかく何かをしなければならない。ということで、タイムズスクエアにいった。タイムズスクエアにはこのホステルからまっすぐ15分ほど歩くと着く。すごかった……渋谷のセンター街なんかクソだとおもった。ディスプレイがでかい。とにかくすごい……すごいとしか言いようがない。もう文章なんかじゃ表せない。東京の新宿出身の僕が、初めて「お上りさん」になった瞬間だった。あるディスプレイにはニューヨーク・タイムズが広告を出していて、「トゥルース.それは嘘ではない唯一のもの.」とか言っていた。1984年感がある。
まわりをぶらぶらして、帰る。途中でマックで何かのセットを買う。アメリカではセットのことをmealっていうんだね。そしてホステルでマックを食いながらユーチューブ。じつはこの瞬間が一番楽しかったりする。で、深夜3時過ぎに寝る。ツイッターを見ると、ちょうどこの時間がツイッターのホットタイムだったりして、時差に驚かされる。

 

3月17日
ニューヨーク3日目。朝、両足のアキレス腱がとても傷んでいることに気づく。前日にとても歩いたからだ。しかも、ニューヨーカーの歩く速さに負けじと無理して早歩きしたからだ。入念なストレッチを行うも、まだ痛む。左足が比較的おとなしめだったので、右足を引きずるようにして歩くことを余儀なくされる。朝からセントラルパークに行く。朝の中心部は、やっぱり勤め人がたくさん歩いている。でもスーツの人は少ないかな? とにかく屋台がいっぱいでている。そしてコーヒーを飲みながら歩いている人が多い。ニューヨーカーという感じだ。それをみながらセントラルパークへ。普通の公園。しかしかなりでかい。たぶん昭和記念公園よりでかい。そして犬の散歩をしている人が多い。ところで平日の朝から公園にいる人って、観光客かおじいさんばかりだ。

適当に散策後、アッパーイーストへ。バンクシーの絵を見るのだ。しかし探してもない。20分ほど歩いた後、バンクシーの絵はアッパーイーストではなくアッパーウェストであることに気づく。アホか。ちゃんと地図を見ろ。というか、多分俺はイーストとウエストの意味を履き違えたのだと思う。アホもここまで極まれると救いようがない。アキレス腱も余計に痛む。その度ストレッチをして伸ばす(後にきづいたことだが、アキレス腱を故障した際にはストレッチはせず、あまり屈伸しないように固定したほうがいいのだそうだ。それを知らずにストレッチを続けた結果、これが大変な苦痛をもたらすことを、この時、おれはまだ知らなかった)。
セントラルパークの近くで3ドルのホットドッグを買いい食いし、公園を横切り(セントラルパークはでかいので横切るのも大変だ)、ミドルウェストをゆく。こっちはなんか落ち着いてていい雰囲気だ。建物はでかいんだけど、なんというか落ち着く。都会特有の寒々しい感じがないというか。温かみがある。なんて表せばいいのかわからないけど。スーパーで野菜がたくさん並べられているのをみたりすると、ここにも人がいて生活しているんだなあ、という感じがする。ベビーカーを押している女性も多く、そう感じるのかもしれない。で、バンクシーの絵を見る。うむ。ミドルウェストへ。あっとニューヨークという日本の企業が経営しているオフィスに入る。雑居ビル。そこでエンパイアステートビルとトップ・オブ・ザ・ロックの展望台チケットを購入する。日本人の人が接客してくれるので、なんともありがたい。外国で日本人に会った時の安心感よ。しかし、なんかあんまり歓待ムードではないというか、コンビニの店員みたいな説明をうけてちょっとさみしかった。思ったのだが、ニューヨークで勤務というのは結構いいことだな。日本の会社で、中国に転勤とか東南アジアに転勤とかってすごい嫌なことみたいだけど、ニューヨークに転勤っていうのはなかなか楽しそうだな。そして多分、アメリカの企業に務めるアメリカ人が日本に転勤を命じられたら、きっと嫌に思うんだろうなとも思った。
その後、ニューヨークに3件あるらしい一風堂のうち一つの店に入った。日本語で「いらっしゃいませえー!」と言われる。ふつうの豚骨とニューヨークブレンドというのがあり、後者を注文。ベジタブルスープで、チャーシューの代わりにスライスした厚揚げが乗っていた。ベジタリアンムスリム向けということか。まあまあの味だった。水がワイングラスで出たのがかっこよかった。食ってる途中で店員が「すいません、替え玉いかがですか」と日本語で聞いてきたので、バリカタをオーダー。「バリで」と注文するのはいささか気が引けたので、ちゃんと「ばりかた」と言った。まあ通じただろうけど。しかし明らかにアメリカ人が注文したときでも「1名さま硬めでーす!」と日本語で注文を繰り返すのはなんか面白かった。日本で、明らかに中国人の店員が明らかに中国人の客に日本語で接客しているのを目撃した時のような可笑しみを感じた。そんでカードで決済して出る。替え玉込で18ドルぐらいで、チップを20%払った。
その後は適当にミッドタウンの方をぶらぶらし、紀伊国屋に入ったり(地下1階はふつうに日本の本が売っていた。雑誌も各種取りそろえてあり、日本の本屋と変わらない)、セントパトリックデーのパレードを見たりした。セントパトリックデーはすごかった。沢山の人達が緑色の服を来たりハチマキ的なやつをつけたりして、街の一部が狂乱状態だった。本場のパリピによるナンパの一部始終も目撃した。まあ昼間だったのでとくに進展はしてなかったけど。とにかくすごい人だかりだった。こんな日にたまたま旅行することになって、本当に運がよかった。そしてホステルへ。いつものようにユーチューブを見て、寝て、起きたら夜。近くの日本人が経営しているダイノブ・デリというところに入り、高くてまずい弁当とバドワイザー(まずいのは知ってるけど飲みたいじゃん!?)を買い、ホステルで食い、寝た。

 

3月18日


ニューヨーク4日目。朝からタイムズスクエアに行く。朝でも人が多い。とはいえ夜ほどではないので、2日目の夜よりも景色の見通しが良かった。写真もいっぱい撮った。曇りだけど、それはそれでニューヨークの一つの顔だ。屋台でプレッツェルを食う。5ドル。思っていたよりもボリュームがあり、かつ、しょっぱい。後半は塩を手で払って食っていた。それでもしょっぱいのでゲータレードをがぶ飲みする。
その後、近くの映画館に入ってキングコングを見る。3D上映で、12ドルぐらい。冷静に安い。英語はわからないけど、雰囲気でストーリーが分かった。周りの観客は、結構声を出してゲラゲラ笑っていた。ところでアメリカでは、エンドロールが流れると照明が点灯する。客も最後まで見ずに立ち去っていくのが大多数だ。僕もそれに習ってエンドロールの途中で帰った。のだが、帰国後ネットでエンドロール後に衝撃の予告映像が準備されているとの情報を得、もったいないことをしたと思った。
近くのベンダーでラムオーバーライスとコーヒーのミディアムサイズを買い、ホステルに戻って食う。ラムのほうがうまい! でも残念なことに、こいつにはファラフェルが付いてなかった。ベンダーによってつくりかたも値段も違うのだ。コーヒーはネスカフェの味がした。そして量が多い。カップのぎりぎりトップまで注がれていた。

少し休み、外に出る。小雨が降っていた。いいだろう、本屋巡りだ。ところでこの頃にはアキレス腱の炎症が結構進行していて、かなり痛かった。本当につらいのだが、我慢して歩く。本屋で村上春樹の翻訳とか、カート・ヴォネガットのペーパーバックとかを見る。アメリカの本屋は洒落てるな。ヨーロッパ感がある。個人経営なのだろう、店員もカウンターで本を読んだりしていて静かだ。外に出る。雨が降っている。その中で煙草を吸う。ニューヨーク。傘を差している人はあんまりいない。

ペンシルバニア駅を通り、タイムズスクエアの近くのアメコミショップに寄る。なんか日本のアニメを紹介する雑誌などもあった。足が痛い。退店後、便意を催す。また青木まりこ現象かよ! スタバに入ってトイレ貸してくださいと聞くも、ないとのこと。ふざけんな。だったらおまえら店員はどこでうんこしてんだよ。ユニクロに入る。日本の店だし親切にしてくれるだろう、と思ったらここにもない。その代わり、向かいのディズニーショップにトイレがあるとの情報を得る。そこに入り、トイレをして、何も買わずにでる。

そして近くにある安いステーキハウスでステーキを食う。28ドル。安いといえば安いのかもしれないが、いきなりステーキよりは高い。そしてまずい。硬いし、骨のせいで可食部が少ない。隣のテーブルには日本人の女性二名が座っていて、「やっぱりアメリカのステーキは赤身が多くて美味しいね」と言っていた。いや、まずいだろ。と思いつつ退店。CVSpharmacyでサロンパスのバラ売を買う。やけにでかい。この辺で愛喫している煙草が切れ、羽田で急遽購入しておいたメンソール煙草に切り替える。メンソが久しぶりすぎて、吐き気を催す。しかし以降、これで乗り切らないといけない。アキレス腱も痛む。厳しい戦いになることが予想された。

 

3月19日
ニューヨーク5日目。シップを貼って寝たものの、アキレス腱はまだ痛む。朝、シャワーを浴びて2日目に歩いた東側を歩く。クイーンズの方の景色もきれいなものだ。朝方特有の陽の差し方が、爽やかな気分を与えてくれる。空気も透き通っている。朝飯を食べるために、近くのなんていいのか分からんけどなんかちっちゃいフードコートが併設されたコンビニみたいなところに入る。アメリカのメニューというのは不必要に親切すぎるがゆえに料理の実態がつかめない。たとえばエッグ&チーズウィズベーコン、など。ほとんど材料を列挙するだけのメニューなんだな。だからそういうのが欲しかったとしても名前が長くて注文しづらい(スタバでトッピングをいろいろ注文するのは決まりが悪いというのを想像してほしい)ので、チーズバーガーを注文、しかしこれはランチメニューだという。それで俺が注文したのが、ただのオムレツだった。レジにパックを持っていって会計。店員さんがなんか言っていたがよく分からなくて、ポカーンとしていると「チャイニーズ?」と聞かれ、日本人だというと、「コニチハ、アリガト」と言われた。こういうのはすばらしいと思った。俺も前サービス業でバイトをしていたが、外国人がなんか質問してきても頑なに日本語で喋っていた。片言の英語を喋るのは恥ずかしいからだ。でもこの国では片言だからしゃべらないということはない。実際、この店員さんもスパニッシュなまりの英語を喋っていた。完璧でなくてもいいからアウトプットするということ。これは見習うべきである。

いったんホステルにもどって足を休ませ(この頃にはストレッチが逆効果であるということをネットによって知っていた)、ミッドタウンを散策。タイムズスクエア付近の「WASABI」という日本食のデリで寿司を食う。普通にうまかった。一貫ごとにビニールで包まれた寿司をパン屋の要領でトレイに載せ、レジで会計する。アボカドロールとかうまかった。ちなみに一貫2ドルぐらいする。信じられねえ。おまけに買ったエビアボカドサラダもボリュームあってうまかったし、アロエジュースもめちゃくちゃうまかった。これ日本で買えないのかな。
その後チェルシーマーケットに行き、本屋とかいろいろ見た後、何も買わずにハイラインへ。ここは廃線になった鉄道の道。ビルの間を縫うようにして高架が通っており、バットマン・ビギンズのあのラストの列車めいたかっこよさを醸し出していた。終点には展望台があったのだが、アキレス腱が痛すぎて登るのを断念。とりあえずハイライン踏破を目的に歩く。アキレス腱が痛む。端っこまでいって降りる。アキレス腱が痛む。モルヒネ代わりに煙草を吸う。アメリカは路上喫煙し放題だ。ハイラインはマンハッタンの東端、ハドソン川に沿って通っているのだが、そこからホステルに戻るというのはかなり――想像を絶する――つらかった。タイムズスクエア付近にハートランドブリュワリーがあり、そこに入る。ハートランドがメニューにない。頼めば貰えるんだろうけど、ハートランドなんて日本で飲めるし、ということでなんかのIPAハンバーガーを注文。パティはレアで。IPAのうまいこと! アンコールビアだのバドだのゴミビールを飲んできたから、余計にうまい。そしてハンバーガーもうまい。ナイフとフォークで食べるハンバーガーは久しぶりだ。1時間ぐらいだらだらして、帰り道にブックオフがあったので寄る。日本の本が結構たくさんあった。でも何も買わない。日本語で「現在買い取りキャンペーン中!」とかアナウンスが流れていたのが面白かった。何も買わずにホステルに帰って寝る。
10時ぐらいに起きて、エンパイアステートビルに行く。エスカレーターの天井にあるディスプレイの映像がすごかった。1930年に人々がビルを組み立てていく様子を下から眺めつつ上昇していく様子をCG映像で移していた。なんていうか、実際に見てほしい。ユーチューブで見れるかも。展望台は、まあすごかった、高すぎる。かなり昔にできたビルだろうに、これより高いのはワン・ワールドトレードセンターぐらいしかなかったように思う。ニューヨークの夜景は綺麗だった。のち、僕はトップ・オブ・ザ・ロックの展望台にて、ほんとうのニューヨークの夜景を堪能することになる。お土産屋でくだらないオブジェとかを冷やかしに眺めて、降りて、歩いて帰る。神秘的な眺めからいつもの風景に変わり、アキレス腱の痛みを再び意識する。そのまま帰るのもなんかいやで、というか晩飯を食うためにタイムズスクエアに。なんか困ったらここに来る感じだ。中心部だし、深夜でも治安がいいような気がするのだ。人も多いし。屋台でファラフェル・サンドイッチを注文。5ドル札を出したらもう一ドルと言われた。メニュー表がないのでぼったくられてるのかどうか分からない。でも交渉しようがないので6ドル出す。ファラフェルサンドイッチは、俺が求めていたファラフェルとは違い、ファラフェルをすりつぶしたものが挟まれたラップサンドだった。でもまあ、うまかった。帰宅して寝る。

 


3月20日
ニューヨーク6日目。最後のアメリカ。まあ明日もいるんだけど、起きてすぐ空港なので。月曜日ということで、街中にベンダーが多い。5番街を北上し、ティファニーやトランプタワーなどを見る。ふつうの街歩きだ。アキレス腱はなお痛い。

 ニューヨーク現代美術館に行く予定なのだが、会館は10時半で、まだ時間がある。最後にもう一度ファラフェルを食べたい!と思うのだが、朝はどこのベンダーも準備中で、パンのベンダーとかしかない。マグノリアベーカリーがあって少し気が惹かれたが、入らない。なんとしてもライスを食うのだ。余談だが、ニューヨークの店はどこも外装が似たり寄ったりだ。マグノリアベーカリーもスタバもダイナーも全部同じようなクリーム色の看板に黒で店名が書かれているだけ。見逃しがちだ。日本はスタバもマグノリアベーカリーも看板がドーンと道にせり出していて、「アメリカ発! 日本上陸! 超おしゃれ!」みたいな雰囲気を放っているけど、アメリカは「スタバですが何か?」的にさり気ない。いずれにせよ景観に溶け込んでおり、下品なアピールをしていない。まあ悪く言えば無愛想な感じだ。というかニューヨークの建物の看板? というのかわからないけど、建物のドアの上には「571」とか、おそらく住所を示す数字が書かれていて、なんとも研ぎ澄まされた識別標識だな、と思っていた。サブウェイやイエローキャブでの行き先が通りの番号で示されるように、建物も数字で管理されているのか。マンハッタンは碁盤の目のように道が通っており、数字で示した方が分かりやすいのだろう。
で、10時ぐらいになると営業を開始したベンダーがあったので、ファラフェルオーバーライスを買う。どこかのビルの前の広場(きっとランチタイムはこのへんで飯を食うサラリーマンが多いのだろう)で、風がびゅうびゅう吹き荒れる中(寒い)、ファラフェルオーバーライスのパックをオープン。ファラフェルはすり潰されていた。ふざけるな。
腹ごしらえが完了し、現代美術館(MOMA)に入る。ネットの情報に寄れば日本語の音声ガイド端末を貸し出してくれるようだが、身分証明書(パスポート不可)が必要らしく、諦めた。受付で聞けば貸してくれたかもしれないが、英語がしゃべれないので諦めた。英語がしゃべれないので諦めたということを認めるのは嫌なので、「いや、俺は作品解説とかなくても美術を理解できるから」と自らの行動を正当化する。で、ウォーホルとかリキテンスタインとかマティスとかを見て楽しむ。ここは写真が取り放題なのである。ゴッホの「星月夜」を接写しようと思ってiPhoneを構えて接近したら、警備員に"Hey."って言われ、後ずさる。非常識な中国人と思われたかもしれない。ギフトショップを華麗にスルーし、出る。
その後、サブウェイでブルックリン・ブリッジ入り口まで行く。入り口は広場になっている。ベンダーがあったので昼飯を食う。チキオーバーライス……何回同じもん食うんだ。しかしうまい。食い終わってスプライトを飲みながら煙草を吸ってたら、現地人と思しき男に「煙草を売ってくれない?」と言われる。「え?」と聞き返す。「煙草を売ってくれない?」俺はその提案に笑ってしまう。一本1ドルとかでもいいのかよ。すると男は(こいつ英語伝わってねえな)と察したのか去り、サブウェイの入り口に入っていった。惜しいことをした。俺は男の提案はヒアリングできていた。しかし、実際の交渉をするための言語を持っていなかった。「OK。ワンシガー、ワンダラー」とか言えばよかったのに。これは英語力の問題というより、単に俺のコミュ力のなさに起因する。
ともかくブルックリン・ブリッジを渡り始める。アキレス腱が痛すぎるので、ものすごくゆっくり歩く。ベンチを発見する度に座る。おじいちゃんかよ。でも昨日のハイラインよりは景色がいいので気分がいい。ハイラインはぶっちゃけ、正直なところ、大した景色を見れるわけではない(笑)。でもここは、左を見ればマンハッタンのビル群、右を見れば海だから綺麗だ。昼が過ぎてやや陽が傾き、水面がきらめいて見える。シンプルに綺麗だった。それに吊橋のまさに吊ってる部分も、遠くから見るよりもはるかに巨大で、1883年にできたとはまったく信じられない。とにかく巨大だった。この橋は二層構造を成しており、歩行者通路は橋の2階部分にあり、1階部分が車道になっている。普通であれば歩行者、とりわけ子どもが誤って落ちないように高い柵などが(日本であれば)設けられるはずであるが、アメリカにはそういう落下防止の概念がない。自己責任ということなのか、どういうことなのか。実際に誤って転落した事件とかないのかな。昨日のエンパイアステートビルの展望台にはさすがに柵、というか透明なガラスの壁が立てられていたけれども。とにかくめっちゃ頑張ってブルックリンに到達。ブルックリン散策もしてみたかったけど足が限界なので引き返す。足が痛む。

寄り道せずにサブウェイで帰る。グランドセントラル駅で降りるのだが、地下の構内を通っている時に、ジャズバンドがゲリラライブをしていたので、立ち止まる。結構人が多い。そのライブがめっちゃよかった! ジャズって感じ。ノれる。一番前に経っていた黒人が"FOOOOO!!"とか言っていた。動画を撮影した。演奏後は寄付をする人がいっぱいいるのかな、と思ったけど2,3人しか寄付してなかった。なんやねん、アメリカ。まあ俺もしなかったのだけど。

で、地上にでるとまあまあ暗くなっている。とはいえ、まだ夜というわけではない。5時頃。ロックフェラーセンターに入り、受付でチケットを見せる。トップ・オブ・ザ・ロック。エレベーターで上昇。エンパイアステートビルのエレベーターとは違い、とくにエンターテインメント的なものはなかった。荷物検査のところにいるスタッフが面白くて、「バッグを開けて。スマホタブレットとPCは出して。ゆっくり歩いて。And,Don't forget smill.」とか言ってた。で、展望台。すばらしかった。すばらしい。すばらしいとしか言いようがない。確かにエンパよりもいい。ほかのビルと同じぐらいの高さなので、ビルのがより近くに見える。タイムズスクエアにある何かのビルと何かのビルが光っているのも昨日より綺麗に見えるし、なによりライトアップされたエンパが見える! すごく綺麗だった! エンパは青色に光っていた。写真を何枚も撮りまくった。のだが、iPhoneじゃあんまりきれいに撮れない。肉眼で見ている綺麗さを反映できない。つまり、「俺がいま見えているとおりの景色が撮れない」。これはカメラの限界だと感じた。一眼レフを三脚で立てて長時間露光すれば綺麗に撮れるのだろうな。しかしそれでも、いま俺が見ている、「まさにこの景色」には及ばないであろうとも思った。もう綺麗すぎる。西新宿の夜景とかとも違う。西新宿のビルは航空警告灯の赤い点滅が美しいが、ニューヨークはそれとも違う。まさに街が生きている、そんな印象を受ける。そしてその生というのは、街自体が自然に生み出した……のではない。むしろ、人間の手によって生み出された。人間の都市計画によって生まれた美しさだと感じた。西新宿の夜景はどちらかと言えば、経済成長に合わせてビルを立てまくって、そのビルに航空警告灯を付けた、という印象がある(その結果できた景色を我々は美しいと感じているわけだが)。しかしニューヨークは、なんというか、「ここに高いビル立てて光らせたらかっこいいんじゃね?」みたいな思想にもとづいている、ような気がする。気がするだけかもしれない。でも、エンパイアステートビルという超高層展望台が歴史上早くにできたということは、都市計画者にそうした景観の美意識を与えたのではないか、とも思う。そういえばレム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」、まだ読み終わってないけど、そういうことが書かれたりしているのかな。
写真を撮った後、急いでサブウェイに乗って、27th streetのJAZZ STANDARDというジャズバーに入る。ニューヨーク最後の夜をジャズバーで過ごすのだ。ところが結論から言うと、これがあんまりよくなかった。「ここは初めて? 目当ての演奏者とかいる?」と聞かれたけど当然そんなもんはなく、通された席が真ん中らへんのテーブルだったのだが、周囲をカップルに囲まれ、なんで俺一人でここに座ってんだよ感が漂う。日本語の通じない国の大都市で、大学生が一人、ジャズバーで、カップルに囲まれて酒を飲む。これはたいへん困難な、レベルの高いムーブメントであるように思えた。しかし俺は中学時代からの特殊な訓練により圧倒的アウェイ時の孤独環境におけるきわめて強靭な耐久性を獲得していたため、難なく居座ることができた。ブルックリンブリュワリーというところのクラフトビールを注文。"Sounds good!"と言われる。「いいね!」的な意味だと思われるが、そういう、俺の選択に関する感想をいちいち言わないで欲しい。恥ずかしいから。ビールが来て飲んでいると、フードの注文を求められる。なんかよくわからないディップソース付きのポテチを注文。演奏が始まる。期待が高まる。だが始まった演奏は、なんかよくわからないものだった。20人ぐらいのブラスバンドだった。聞いている時の正直な感想は、「それぞれが思い思いに別々のメロディを吹き散らかしている……」だった。はっきり申し上げて、全体としてのまとまりが理解不能だった。これはポスト・ジャズとかそういうニュージャンルなのだろうか。というか俺は、ピアノとベースとサックスのトリオでしっとりしたジャズとかを期待していたんだけど、全然違ったね。演奏中にポテチが来たんだけど美味しくない。ていうかどう考えても一人で食べ切れる量じゃない……。

演奏が終わるとそそくさと退店し、煙草を吸った。腹が減った。携帯でラーメン屋を検索する。ニューヨークで深夜に回転しているラーメン屋はただひとつだけだった。それはホステルのすぐ近くにあった。僥倖。サブウェイに乗る。もう慣れたものだ。で、足を引きずりながらそのラーメン屋に入る。なかなかすごい店だった。昭和の居酒屋って感じ。日本の演歌が流れていて、赤提灯が店内に吊られまくっていた。ボンカレーじゃないけとそれに類似するような古い日本を象徴するようなポスターが貼られていた。一人でラーメンをすするアメリカ人っぽい人が何人かいた。メニューを見ると、日本のいろんな地方の酒が用意されているようだった。具体的な値段は覚えてないけど、結構高かった。大関とか松竹梅とかじゃなくて、ちゃんとしたものを出しているようだ。そういうのを無視し、普通におすすめっぽい黒豚ラーメンを注文。12ドルぐらい。うん……まあ、ふつうのラーメン。うまい。麺が微妙で、なんかカップ麺みたいだった。スープはふつうにうまい。アメリカ式テーブル会計をして、店を出る。ホステルに帰る。寝る。疲れた……

 

3月21日

ニューヨーク7日目。起きてとりあえずシャワーを浴びに行く。窓の外からクイーンズのビルが見える。紫色とオレンジ色のグラデーションの空。この景色を見るのも最後だ。写真を撮る。トイレの洗面所で歯を磨く。現地調達したゴツい歯ブラシを使うのも最後だ。使用後、ゴミ箱に捨てる。部屋に戻って荷物の整理をする。チェックアウト。しようとするのだが、なんかフロントの人間が長電話をしていて、全然受け付けない。ふざけんな。結局15分ぐらい待って、チェックアウト。カードを渡して部屋番号を告げて、それで終わり。それだけでええんか? とにかくもうグランドセントラル発のラガーディア空港行きバスには間に合わない可能性が高い。やむを得ず、ホステルのすぐ近くの3rdAVEでタクる。一発で捕まった。発タクシー。「Laguardia」って言ったらそれで伝わった。席の前にはモニターがあって、ニュース番組が流れていた。1日目に乗ったバスと同じく、高速に乗る。振り返ると、マンハッタンのビル群が見える。さようなら。またいつか絶対来る。空港に近づくと「何番ターミナル?」って聞かれるけど、わかんない。「わかんない」「何に乗るの?」「デルタ」っていうと、とりあえず3番ターミナルに停めてくれた。モニターを操作し、カードをスキャンして支払い。空港着。そういえば、おみやげにモンスターエナジーを買う予定だったのが、完全に忘れていた。空港の中の売店には、普通のエディションのモンスターしか売ってなかった。がっくりする。で、飛行機に乗る。……


ここから先はとくに何もない。ただただうんざりするフライトが続いただけだ。ミネアポリスまではまあ別にいいんだけど、ミネアポリスから羽田まで17時間って、それはもう拷問だろう。ところでミネアポリスの売店で思い出したのだが、ニューヨークで一度もクロワッサンを食べてない。売店にはクロワッサンと書かれた棚があったのだが、そこに置いてあったのはドーナツであった。僕はドーナツを買って食べ、羽田行きの飛行機に乗った。ニューヨークでやり残したことがあると言えば、クロワッサンを食べることだろう。アメリカのパンは規格外にでかいのだ。あれを頬張りつつコーヒーを飲む。いかにも都会に憧れるお上りさんという感じだが、別にいいのだ。僕は東京で育ってきたので、まあ日本の中では都会の人間だ。上京したこともない。なぜなら地方に住んでいないからだ。だから地方から都会に出るということがどういうことなのかを理解することは、原理的に不可能なのだ。その僕が上京、あるいはそれに類するものを理解するためには、もう、ニューヨークに行くしかなかった。今回の旅は、実はそのような問題意識のもと始まった。そしてその目的は、おおむね達成されたように思う。以上で僕の学生時代最後の思い出の記述を終わりにしよう。