研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

【川崎IMAXレーザー】クイーン1曲も聞いたことないゆとりが『ボヘミアン・ラプソディ』を見た結果

☆序文

クイーンのことをなにもしらないゆとり世代でさえ楽しめたということで、コンテクスト関係なく、単独の映画としてすばらしいです。単にすごくおもしろい。バンドの伝記モノということで当然ですが音楽がふんだんに使用されており、どれもが大ヒット曲なので耳に残るため誰でも楽しめます。またカットのつなげ方も非常にテンポがよく、観客を飽きさせない工夫がされています。さらにはクイーンのボーカルで本作の主人公・フレディが同性愛者であるがゆえの苦悩なども描かれており、当時のセクシュアリティにまつわる社会的状況と彼のエンターテイナーとしての成功との折り合いの付け方について考えを巡らせる余地などもあります。後述しますが、彼はセクシュアリティのほかにインド生まれインド育ちであることについても公にしておらず、自らにコンプレックスを抱えていたことが死後知られています(ウィキペディアによる)。そんな彼がライブで派手なパフォーマンスをし、成功し人気を博していく、その積極的な姿勢が胸を打つのです。とにかく情報量が多く、密度が濃く、熱い映画でした。年に一度、観たその日のうちに長文の感想を書きネットに公開したくなる映画(それだけ人に勧めたいと思う映画)と出会いますが、2018年はこれがそれだったということかもしれません。

 

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以下、いくつかに分けて書きます。

 

☆鑑賞後の行動

・アップルミュージックでプレイリスト「はじめてのクイーン」を聞きながら、クイーンのウィキペディアを読んだ。ライヴ・エイドはフレディの最後のライブというわけではなかったらしい。ただ伝説的なパフォーマンスで有名であるからここにスポットを当てたのだと思う。

宇多丸の映画評を聞いた。ちょうど昨日(11月30日金曜日)のラジオで話していた。監督が何度も交代したらしい。ライヴ・エイドの1985年当時、クイーンはアパルトヘイト政策の続く南アフリカサンシティでライブを行い批判され、レコードの売上もかなり減っていたのだと。そんななか起死回生で出たのがライヴ・エイドだった、というのが本当の位置づけらしい。そのなかで歌った「radio gaga」はラジオという古風なアイテムを自分たちのバンドに重ね合わせているのではないか、そしで"we are the chanpions."、そんな古いバンドだけど俺たちはチャンピオンだ、というような強い決意表明のようにも取れる。

・ユーチューブでライヴ・エイドの様子を見た。映像が残っている。現在約1.1億回再生されていた。驚いたのだが、映画のラスト20分はかなり忠実に再現されている。セットリストが6曲から4曲に変更されているのはまあいいとして、U2のタオルを掲げる観客とか、股の間から観客を覗き込むフレディとか、すごい再現度だ。恐れ入った。フレディ役のラミ・マレックがいかにフレディ本人になっていたかを再確認した。インタビュー動画によれば、振り付けコーチがいて、その人がフレディ独特の身体の動かし方から視線の動きのクセなどあらゆるディティールをコーチングしたのだと。たいしたもんだ。

 

☆構成

ライヴエイドの登壇シーンを最初に持ってくるのがうまい。

本作は1985年に行われたアフリカ難民救済を目的としたチャリティーイベント「ライヴ・エイド」のステージに向かって主人公のフレディが歩いていき、25万人の歓声に迎え入れられるというシーンから始まります。そこで一度映像がカットされ、1970年、フレディがバンドを始める時代まで時計の針が戻されます。ここで我々観客は、この映画のゴールが15年後のライヴ・エイドにあることを知らされるわけです。当然気持ちのいい終わりになることが予想されます。まだ結成していないバンドがここから15年でいかに素晴らしいバンドになるか。そこまでの道筋を楽しむというわけです。もちろん順番に1970年から映画を始めてもいいのですが、それではインパクトがない。僕のようなクイーンを1曲も聞いたことのない人であれば、引きがなくて飽きてしまうかもしれません。そんなビギナーの心を掴むためにあえてサビを前に持ってきたわけです。まあありふれた手法といえばそうなのですが、この冒頭の映像、それ単独としてもなかなかいいのです。ギターケースのロックを手前から順番に開けていく様子を接写するのですが、ピントが手前から順番に向こう側に合っていくという撮影をしていて、うまいなと思ったり。バンドメンバーの顔を移さずに、裏方のスタッフがせわしなく動いているその様子を移すことでライブ前の高揚感を表現しているわけです。

 

☆編集

作曲→発表がテンポよく編集されている。

ボヘミアン・ラプソディ」の着想→レコーディング→大ヒットの流れが一番好きなのですが、ここのテンポが大変よい。まずレコード会社の社長と打ち合わせ的なことをする(予告編でも使われている)のですが、そこで「次はオペラかな」とフレディがアイデアを出す。そこでいろいろあって牧歌的な農村に行きレコーディング。ロジャーのコーラスに「もっと高く」とリテイクを繰り返し、やっと完了。サンプリングした曲を再生するところで、再びシーンはレコード会社の社長室に戻る。「長くてラジオでかけられない」「タイトルがわかりづらい」などと文句を言う社長と激突。激怒したメンバーは部屋を出ていく。シーン変わってラジオ局の放送室、知り合いのよしみで「ボヘミアン・ラプソディ」をオンエアしてもらうが、新聞や雑誌の論評では「亜流」「価値なし」など散々に叩かれる。再び暗転し1年後、そこにはライブツアーで「ボヘミアン・ラプソディ」を演奏するクイーンの姿が! 駆け足だが要所を抑えていて面白い展開だった。自分は漫画『バクマン。』のような展開の疾走感を覚えた。チームで新しいものをつくって成功、というのも似ている。ロックなのにオペラみたいなコーラスが入り、しかも6分もあるというのは当時衝撃だったのではないか(と思う)。

同じくテンポのいい編集として『we will rock you』を作るシーンも注目したい。フレディが遅刻している間にブライアン発案で「ドンドンパッ」をやっているとき、フレディが来る。「歌詞はどうする?」そこでシームレスにライブのシーンに以降。すさまじくテンポがいい。

 

☆音楽

クイーン1曲も聞いたことなかった。「ボヘミアン・ラプソディ」といえば『スーサイド・スクワッド(2016)』の予告編で使われてたやつだよね、程度の認識。『we will rock you』はまあ、hearはあるけどlistenはしたことない。でもすごくいい音楽つくるバンドだなと思った。前述のオペラとロックをミックスするところとか先進的だと思うし(40年前の曲だが)。ライヴ・エイドの再現は噂に違わず胸に来るものがあった。病に侵されているところ、なわけでしょう。「ママー……」のところの歌詞なんか考えさせられますよね。ピアノ弾き語りで。あのシーンでラジオ中継を聞いているフレディの母を写す演出もいいですね。もちろん音楽それ自体も大変素晴らしいのだが、やはりこれまでの物語を見せられてからだと全然くるものが違う。涙が出た。エンディングの「dont stop me now」も疾走感がありかっこいい。一番好きかもしれない、と思った(その後アップルミュージックで何度も繰り返し聞いている)。

 

☆レーザーIMAX

実は人生で2回目。11月23日に川崎と名古屋にレーザーIMAXシアターがオープンしたのだが、それまで日本には109シネマズ大阪エキスポシティにしか存在しなかった。昨年、大阪のレーザーIMAXで「ダンケルク」を観た。スクリーンがほぼ正方形で、観たことのない画角に興奮したものだった。しかも前々からチケットを撮っていたのでx軸方向にど真ん中、y軸方向にすこし後方の理想的な座席を取れたので見やすかった(画面があまりにもでかすぎるため画面情報が視野に収まっていない説もあったが)。しかし今回はもたもたしていたせいで左側前方入り口付近という大変首が疲れる座席しか空いてなかった。川崎のレーザーIMAXは大阪と違い、スクリーンは通常のIMAXと同じぐらいワイドだったように思う。したがって映像面では通常のIMAXと比べないとなんとも言えなかったのだが、それよりも注目に値するところがある。音響だ。これは明らかに通常のIMAXとは違うと思った。ライブシーンは重低音が響いて座席が振動するほどであった。しかし最後のライヴ・エイドシーンはあまりに音圧が強くて若干音割れ気味だったのが悔やまれる。今後極爆上映も増えていくだろうから、そういったところで再びこの感動を味わいたい。

 

☆好きなシーン

ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディング中、メンバーが喧嘩し始めたときにフレディが外に出てタバコを吸うシーン。余暇のような仕事のような余暇。喧嘩を放置してもメンバーの仲は決して崩れない、なぜなら「家族」だから、ということが実はこのシーンから伺えるのかな、と思う。

 

セクシュアリティに関する描写

「ボヘラ」作曲中にマネージャーがキスしてくるところで死ぬほど驚いた。そうなの? そしてその後もいろいろとそういう描写が。「僕はバイセクシャルだ」と彼女に告白し、別れる。髪型を変えてロジャーに「ゲイっぽい」と言われる。元カノに彼氏ができたことを知り悲しくなる。などがあるが、彼が活躍していた70~80年台はゲイ差別も激しかった時代で、それゆえ彼が私生活を公にすることはなかった(ウィキペディア情報)。その私生活をここで描くことにどのような意味があるか。それはやはり終盤、ライヴ・エイドのシーンを盛り上げるためだ。そのセクシュアリティによって苦労したこともあった、それとは別にバンドが分解してしまったりした、けれども最後はメンバーと再び合流してライブを成功させた。そのようなカタルシスに至る前の「谷」を描くシーンとして機能していたと思う(もちろん作劇上の仕掛けとしてセクシャリティをネタにつかっている、というつもりはないですが)。

 

☆その他

・フレディの元カノ・メアリーを演じた美女、ルーシー・ボイントンはアイルランドの学生バンド映画(『シング・ストリート』(2016))でボーカルの彼女役を演じており、何かとバンドの彼女役に縁がある。

・終幕後、客席を見回したが、客層に特に偏りはなかった。70年台はクイーンのルックスから日本では「若い女性を中心に人気を博した」(ウィキ情報)らしいのだが、そのような青春を過ごした女性がたくさんいるというわけでもなく、おじさんもいれば単に若い男女などもいた。

 

☆まとめ

すばらしかった。バンドの映画といえば『ストレイト・アウタ・コンプトン』や『あの頃ペニー・レインと』(これは少し違う)などがあるが、ライブシーンでここまで盛り上げる映画はなかなかないような。新しい古典ですね。もう一度どこかで観たい。今回は川崎の109シネマズで鑑賞したが、同じ場所の川崎チネチッタは音響に定評があるらしく、ここで見るのもいいらしい。

 

☆おまけ

川崎で適当に撮影した写真。

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