研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

lalalarks(ex School Food Punishment)というバンドの「28時」という曲を知っていますか

あの日からもう11年も経っていた。School Food Punishment(以下、SFP)のウィキペディアを見て気づいた。ノイタミナというフジテレビアニメ放送枠(今もあるのかな)で始まったオリジナルアニメ「東のエデン」のエンディングテーマ「futuristic imagination」。

こんなにかっこいい曲があるのかと、中学2年生の僕は衝撃を受けた。疾走感のあるストリングスに乗せる息切れするようなボーカルが耳をとらえて離さなかった。まるで走りながら歌っているような……たしかアニメの映像も、後半、サビに入るとともに主人公の瀧澤くんが右から左に向かって走る映像になってなかったっけ。……今見たら左から右だった。そして、曲のシメで狂ったように鳴り散らかす電子音。粗削りでエネルギッシュ、だけどスタイリッシュなメロディのSFPを象徴するような曲だと思う。

とにかくそれがSFPとのファーストコンタクト。高校1年生の時、人間関係になじめなくて、通学バスの中でiPod nano に入れた「amp reflection」を無限に聞いていたのを思い出す。あれから11年たった。

大学に入ったころだったか、いつか忘れたが、SFPが解散してlalalarksが結成されたということを知った。何曲か聞いてみたけど、好きになれなかった。ポップで聞きやすいというか、なんというか……端的に言うと、丸くなってしまった、と感じた。もちろんポップな曲はSFPにもある。でも、あの、リスナー側もついていくために必死にならなきゃいけないような、ぼーっとしてると置いて行かれてしまうとさえ感じてしまうような疾走感は感じなかった。

そんなこんなで大学を卒業して就職して、仕事がつらかった時に「28時」を知った。

 


la la larks - 28時 (demo)

 

僕の待っていたものがそこにあった。でも、まるっきりかつてのSFPというわけではもちろんない。いろいろあって一皮むけたというか、成人式で小学校の時同じクラスだった女子と再会してきれいになっていることに驚く、みたいな。なにか困難をくぐり抜けた人のつくる音楽、そして歌詞だと思った。だから僕は仕事でつらい帰り道にこれをずっと聞いていた。

それでなぜこの曲の名前をこのエントリのタイトルに挙げたのかというと、この曲はほんのわずかな人しかフルバージョンを聴くことができない、貴重な曲だからだ。音源はもう一般流通していない。だからユーチューブにもでもバージョンしか上がっていない。

ググればわかるのだが、lalalarksは2014年にクラウドファンディングをおこなっていて、一定額寄付した人にはお礼としてこの「28時」のCDが贈られた。だから受注生産方式で、限られた人しかもっていないのだ。初めてこの曲を聞いたときからなんとかそのCDを手に入れる方法はないかと調べたが、2016年ごろにメルカリで高額出品された記録が残っているだけで(すぐにディールしたようだ)、どこにも売ってなかった。フルバージョンはそのCDに収録されている。けれどもそれを聴く方法はない。サブスクで配信もされていない。存在するけれども、僕はそれを聴くことができない。――これが約2年半前、2017年の冬のこと。

そして2020年5月。詳細は省くがふとしたきっかけでSFPのことを思い出し、自然な流れで「28時」のことも思い出した。いい曲だけどフルバージョンが聞けなかったんだ。上記の動画のコメント欄には「フルバージョンと違い凄くかっこよくて良いなとおもいます。」などと、フルを聞いたことがあると思われるリスナーが書き込んでいた。

単純に興味がわいた。フルバージョンはどんな曲なのだろうと。2年半ぶりのあこがれ。それで、いろいろ調べた。メルカリでは5か月前(だから19年12月~20年1月?)にCDが1万円超で取引されていた。以前見た時より高くなっていた。

これで見つからなかったらもうあきらめよう、と思った。「28時」のフルバージョンは存在しない――それでいいじゃないか、と。そう自分に言い聞かせようと考えた。いつまでも手に入るかどうかわからない幻に振り回されていちゃだめだ。俺個人の中で粛々と追悼していくんだ――。そんな気持ちでネットを見ていると、2年半前はみつけられなかったのに、なぜかあっさりと見つけてしまったのだった。「28時」のフルバージョンを。

 

www.nicovideo.jp

 

該当箇所は21:32ごろから。

やっと会えた。

なぜ見つけたのか。「28時」とともに僕は「Ringing」という曲もよく聞いていて(これもとてもいい曲なのだ)、「28時」はなくても「Ringing」についての情報は得られないだろうかと検索してみた。そうしたらこの動画が引っ掛かり、「ラジオか、そういえばSFPが出てるラジオとかインタビューってあまり意識して見たことなかったな」と気づき、クリックした。そしてわずか4つしかないコメントを見て目を瞠った。

「28時のフルじゃん・・・・マジでこれ好き」

それを聴けたときのよろこびについて語るのは難しい。つい昨日、おとといのことなのに、難しい。それはなぜか。ヒントは、前述のユーチューブのコメント「フルバージョンと違い凄くかっこよくて良いなとおもいます。」にある。

その時僕がメモ、というか、個人用ツイッターみたいなアプリに書き残した感想を下記に記す。タイムスタンプは5月1日の午前2時50分前後を示していた。

 

もう一回デモバージョンを聞いて思ったのは、たぶん、俺が思い描いていた28時のフルバージョンは存在しなかったということに俺は悲しさというか……何? もう言語化できないよ。喪失感というか……ああ、喪失感はいい言葉だね。喪失感。喪失感というのがしっくりくる。

しかしこれはおもしろいことで、なぜなら喪失感とはほんらいすでに所持しているものを喪失した時の感覚を指す言葉だが、そもそも俺は28時のフルバージョンを聞いたことはなかった。むしろ今回フルバージョンを聞いたことで、はじめてフルバージョンを聞いたという体験を獲得した。にもかかわらずそれは喪失感をもたらした。なんなんだろうね、この感覚は。

でもたぶん俺は今後もちょくちょく28時のフルバージョンを聞くんだと思うよ。もしかしたら聞いていくうちにフルバージョンが好きになっていくのかもしれない。それはわからない。でも一つ確かなのは、フルバージョンを再生するたびに、俺は喪失感を重ねていくんだろうということだ。たとえそれが虚構の感覚だったとしても。

 

聞いた直後に書いたためやや感情的なきらいがあるが、全体的な感想はこれを書いたときから二晩たった今も変わらない。つまり、……いや、言葉を重ねるのはよそう。ぜひ、デモバージョンとフルバージョンを聴き比べて、感じ取ってほしい。

ということで今日。やはり「28時」を聞く。何度も聞く。SFPが懐かしい。「amp reflection」を聴く。通学のバスに揺られていたあの頃が思い返される。「RPG」や「How to go」も聞く。どちらもノイタミナのアニメの主題歌だ。「RPG」はアニメ「C」のオープニングで、歌詞の「AorBじゃないや 理屈じゃないや」というラインが気に入っている……

ほかのSFPファンがSFPについて語っているのを読みたい。そう思ってネットで検索した。こういうことは数年前までやらなかった。検索したら、素晴らしい文章がヒットした。

 

好きなアーティストが活動をやめたとき、私たちはどうすればいいのか - School Food Punishmentがいた世界で、la la larksがいる未来で、私は、 (2020/02/14) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

ついこないだ、というか2020年にもなってこんな文章を書いてくれる人がいるということにまず感動した。筆者は僕の3つ下らしく、小学生の時に父から東のエデンをすすめられ、SFPに衝撃を受け、父が買ったamp reflectionを聴いていたという。なんて素晴らしいお父さんだろうかと思ったし、この人の抑制的な、しかしエモーショナルな書きぶりに、ああ本当に好きだったんだなあと思った。最初lalalarksが好きになれなかったというところも同じだ。僕はライブは行ったことがなかったから、その辺りの描写も興味深く読んだ。

それでlalalarksが活動休止したということをこれを読んで知った。

今後については何も分からないのだが、もしかしたらもうあの感動を味わうことはできないのだろうか。だとしたら僕は、さっき追悼という言葉を使ったけれども、本当に追悼しなければならないのかもしれない。何を? ……かつて存在した音楽バンドを。何度手を伸ばしても届くことのなかった曲を。そして自分の中に11年間ありつづけた強いあこがれを。

上掲のロッキングオンの文章は、読めばわかるが、明らかに筆者による追悼のために書かれている。大好きなのに、もう解散してしまったので、ファンであり続けることができない。どうすればいいのか、という問いから出発したこの文章は、「ただ感謝を書くしかない」という結論で結ばれている。それがこの人なりの追悼の仕方だった。

僕はこのたった2日間で見つけた、かけがえのないものについて書くことで弔意を示したいと思う。それをネットに残すことで証ししよう。もしかしたら著作権的によくないことなのかもしれない。けれども僕にはもう、これ以外に彼らを――何より僕自身を――悼む方法がわからない。

2年半前、仕事帰りの汐留でうつろな目をしながら聞きまくった「28時」。デモバージョンゆえ一部歌詞が聞き取れなかった。それでべつに問題はなかった。音楽として好きだったから。けれども、フルバージョンどころがデモバージョンでさえちゃんと「聴けていない」自分が情けなかった。2年半前のことだ。それが、フルバージョンを丹念に聞いて、やっと何を言っているのかが分かった。内村友美はあの退廃的な感じのする音楽の中でこう歌っていた。それをディクテーションして、僕の中でやっと、「28時」という曲への片思いが一区切りついたような気がしたのだった。

 

東の空淡い薄桃色 心洗い流すように深呼吸した

白い月見上げたベランダから 一人動けずに

浅い夢も見れない28時は 昨日の続き今日の始まり

肌をすり抜ける風心撫ぜて

忘れさせてよ かき消してよこの靄(もや)を

今すぐに

 

 

 

 

amp-reflection

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